(5)「企業、大学、財団、教会、抗議運動などがそれぞれ独自のソフトパワーを発展させる」として、それは政府の力だけではないと言っている。
(6)「ソフトパワーは、国家の力の一部分にすぎない。それは、ハードパワーと組み合わせることで、矛盾なく相互に強化されるべきものだ」と述べ、リアリズムとソフトパワーは対立するものではなく、概念上も、政策上も連関するとの考えを示している。
バンスが毀損した米国のソフトパワー
ナイのソフトパワーの具体的要素に付け加えることがあるとすれば、①一方的な行動はしないこと、②国際約束は守ること、③国際協調と国際協力があるのではないか。
2月14日のバンスのミュンヘン演説は米国のソフトパワーを大きく毀損した。余りに一方的な議論だった。
第一に、自分の一方的議論だけを主張し、質問も受けないで降壇した。第二に、バンスの世界観は、絶対的な表現の自由を主張するものであり、それでは永遠の闘いになる。嘘を言う自由も守るべきと考えているのだろうが、それではホッブスの世界になる。
デモクラシー作動のためには、正しい事実の情報が必要であり、その上で表現の自由が必要だ。そうでないと、メディアやSNSを牛耳るマスクのような人が、人心を嘘で煽動し、社会を牛耳ることになる。
絶対的自由を認めれば、今の情報化社会では民主主義は早晩崩壊する。表現の自由と情報の内容の間の一定のバランスが必要ではないか。

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