ひろみ(髙石)と同じバーで働いていた康子(森田想)が、海岸でたたずんでいる昭吾を見つける。「やっと見つけた。なにをしていたのよ」と。
康子らは、人間が創造した合成人間が、世界を牛耳ってしまった事態を転換する、革命運動に取り組んでいた。昭吾は彼らの「同士」に生まれ変わったのである。
革命運動の標的は、合成人間のトップに立っている「Σ王」の命を奪うことにあった。昭吾は、女王の宮殿に送り込まれた。Σ王もまた、その外見はひろみ(髙石)だった。
Σ王はいう。
「わたしたち合成人間は、人間がする愛というものがわからない。愛の行為を見せてほしい」
戸惑う昭吾だったが、女王に軽く口づけをするのだった。しかし、「こんなものは何度もみてきたわ」と、あしらわれる。
昭吾は、革命運動のためにΣ王を電子銃で殺すが、あっというまに同じ女王が現れる。クローン技術によって、女王は何人でも作れるのである。
女王の死と再生は繰り返される。その末に、合成人間として首相の地位にある人物が、昭吾に告げる。
「何度も女王を作っても、困ったことができた。つねに、おまえの名前をいうようになったのだ」
クローンづくりを担当している研究者も、その原因がわからない。
胸にしみる愛と死の物語
『アポロの歌』は、天才・手塚治虫の膨大な作品群のなかでも異色である。明るい未来もちょっとしたユーモアもない。あえていえば、『火の鳥』にみられるような転生の物語である。そして、愛と死とはなんなのか。
原作から四半世紀以上も経過してからの映像化は、「実験ドラマ」といってもいいかもしれない。それでいて、髙石あかりと佐藤勝利のふたりの愛と死の物語は、胸にしみいる。原作の性的な表現と残酷なシーンは、極力抑えられているとはいえ、深夜帯という比較的自由な空間のなかで成立したドラマである。
冬ドラのなかで隠れた秀作といえる。ことに、髙石あかりについては、TBS日曜劇場『御上先生』において、最終局面で不正入試の当事者としての苦闘を見事に演じた。連続テレビ小説の抜擢だけではなく、最近の映画、ドラマに最も起用されている女優のひとりである、実力を本作でもみせた。
