4月13日に大阪湾の人工島、夢洲(大阪市此花区)で開幕した大阪・関西万博は、悪天候や混雑対応などで混乱はみられたものの、約1週間で50万人が来場するなど堅調なスタートを切っている。来場者に驚きを与えているのが、非日常を感じさせる独特な形状の国内外のパビリオンの数々や、大阪湾を一望できる大屋根リングだ。5つの海外館が開幕に間に合わない事態は発生したが、大半は開館にこぎつけた。

直前のドバイ万博の遅れや資材価格の高騰、軟弱地盤で、工事中の大半の期間で電気、水道すらなかった夢洲という立地など、会場建設は困難を極めたのが実態だ。ただ、それでも間に合わせることができたのは、建設業界の工夫と努力があったからに他ならない。万博の評価の高まりの〝陰の立役者〟だといえる。
困難視された完成
「非常に困難な工事だったと聞いており、完成はとてもうれしい。パビリオンは、日本とチェコの特別なつながりを示している」
万博が開幕した4月13日、東欧チェコのパビリオンを訪れた同国のリパフスキ―外相は、建設に携わった関係者の労苦を称えた。集まったチェコ館の政府代表や、ゼネコン関係者らの顔は誇らしげだった。
外相の言葉は決して誇張ではなかった。チェコは「タイプA」と呼ばれる、各国が独自で設計、建設する種類のパビリオンを出展しているが、らせん形で、全体が斜めに傾いているような特殊な構造を採用している。
外装は全面ガラス張りで、チェコの名産ガラスをわざわざ輸入して使用した。デザインが公表された当初、その複雑さから完成が強く疑問視されていたのが実情だ。
その工事を請け負ったのが日本のゼネコン、大末建設(大阪市)だ。同社がチェコ側と契約を交わしたのは昨年4月。着工は7月だったといい、約8カ月でパビリオンを完成させたことになる。厳しい工期だったが、実現できた背景にあったのは、現場レベルでの両者の緊密な協力だった。
村尾和則社長は「チェコと日本の両者の技術を足し合わせることで完成した。チェコ側が用意した材料が、強度や品質の面でも素晴らしかった。職人のレベルも高かった。だから、短期間での完成にこぎつけた」と振り返る。