日本の農業が学ぶべきこと
今回視察したのは野菜と果樹農家に限られるが、それでもオーストラリア農業の一端を垣間見ることができた。相違点を以下の通り整理した。日本が学べる点について言及したい。
第一に、補助金に頼らない農家の経営感覚の醸成がある。
先述した、オーストラリアの大規模野菜法人は、新しい技術にすぐに飛びつかず、長所短所を見極め、冷静に判断している。オーストラリアの農業経営者の姿勢は、直接的な補助金など頼るものがない厳しい環境から生まれてきているようだ。
オーストラリアの農業というと大規模経営と大型農機導入を連想しがちだが、経営者の経営感覚が農業を支えていると言えそうだ。
第二に、食料の安全保障に対する国民の考え方である。
日本は中山間地を多く抱えており、これらの地域での大規模化は難しい。一方、オーストラリアと日本は、海に囲まれているという共通点がある。
オーストラリアでは食料の安全保障に対する考えが国民に浸透している。国産食品や農村の持続性を支持する「オーストラリアン・メイド、オーストラリアン・グロウン」運動がオーストラリア中に広がり、ほとんどの国民に認知されている。
第三に、国民が自国の農業を支える仕組みの構築である。
農業に対して、直接的な補助だけでなく、「オーストラリアン・メイド、オーストラリアン・グロウン」運動のように、国民の意思で農業を支える仕組みを日本でも検討しても良いと思う。我が国には、長らく各地で地産地消運動が行われてきた歴史がある。
以上のようにオーストラリアは歴史や経営規模など異なる点も多いなかで、その農業の歴史と今後の方向性は日本の農業の将来を考える上で示唆に富んでいる。
日本は移民国家のオーストラリアと違い、農業に何らかのルーツが多い消費者は多いが、残念ながら、今まで消費者の農業への関心は高いとは言えなかったと思う。「消費者を含めた国民全員で食料と農村を支える」との意思が重要だ。
米騒動に端を発して国民の間で急速に農業に対する関心が高まっているのは農業の将来を考える上で好機である。今こそ、私たちは農業の持続可能性や食の安全保障について、建設的かつ国民的な議論を始めるべき時ではないだろうか。

