重商主義が産んだ賄賂政治
「越後屋、おぬしも悪よのう」
テレビの時代劇ドラマで、悪徳商人の越後屋から賄賂を受け取った悪代官がにんまり笑っていう、このセリフは今ではすっかり全国区となった感があるが、そういうことが日常茶飯のように横行していたのが田沼時代である。
ただし、〝重商主義のマイナスの側面〟である賄賂ばかりが面白おかしく強調されるあまり、税収を上げるための経済活性策として田沼意次が実施した印旛沼の干拓、蝦夷地の開発、蘭学の奨励といった〝重商主義のプラスの側面〟に目が向けられなかったことから、〝田沼時代=賄賂政治〟と決めつける偏った見方が浸透したきらいがある。
そうした描き方につながるのが、意次が商人に「株仲間」と呼ぶ同業組合を結成させ、営業許可を与えたり、仕入れや販売の独占特権を与えたりする代わりに「冥加金」と呼ぶ税を上納させるというシステムだった。
その冥加金に上乗せすることで許認可の権限を持った役人たちの覚えをめでたくして、営業特権を手に入れようと目論む商人も当然現れ、逆に許認可を与える見返りに商人らに公然と賄賂を求める権力者も出現したろうから、そういう不正を行う連中を象徴的にわざとらしく面白おかしく描いたのが、テレビドラマの「おぬしも悪よのう」だったのである。
意次が推進した〝重商主義〟は、1786(天明6)年に失脚するまで続く。意次に代わって新たに老中に就任した松平定信が〝重農主義〟という地味な政策に切り替え、「倹約令」を敷いたので、意次の重商主義の金権政治的な面がよけい目立つことになった。

