「だから横浜創英では、中学1年の最初に〈リセット〉から始めます。何かを与える前に、『学校は何のためにあるのか』『自分はどんな人間になりたいのか』といった本質的な問いを投げかけます。生徒たちは最初こそ戸惑いますが、そこから『自分で決める』感覚を育てていくんです」
思考が切り替わるには、早くても数カ月、長ければ数年かかる。しかし中高一貫教育なら、その時間をじっくりかけられる。子どもが自分の学びを主体的に選ぶこと──そこに学びの本質があると確信している。
教育観を一変させた“ボルネオの気づき”
教育観が大きく変わった転機はいくつかあるという。その一つが東日本大震災だ。
「学校や先生を失った子どもたちと関わる中で、大人が教えられることの限界も感じました。しかし、そのような中でも10年後、20年後を見据えて自分の力で立ち上がり、学び始めた子どもたちにも会って、なんて逞しいんだろうと。そこで『どんな変化があっても自分で必要な学びを自分で選べる力をつけることの大切さ』を痛感しました。その後にコロナもあって、その思いはますます強くなりました」
また、マレーシア・ボルネオ島の山奥にあるイバン族の集落を訪れた経験もそのひとつだという。イバン族は数百年前まで首狩りの習俗を持っていた人々で、今も独自の共同体文化を守って暮らしている。
「『子育ての秘訣は?』と聞いたら、その言葉自体の意味が通じなかったんです。言語の問題ではなく、その概念がなかった。『子育てって、みんなでするものでしょ』と」
長屋のように軒が連なり、広い廊下を子どもが走り回る。怖いおじさんが必要なときに叱り、お兄ちゃんが勉強を教え、おばあちゃんが甘えさせてくれてあめ玉をくれる。親だけでなく地域全体が子どもを育てる──それはまさに『教えない教育』の原点だった。
「教育は本来、子どもが自分で関わる人や学び方を選べるもの。一律にそろえるよりも、予備校型の授業があってもいいし、熱血先生や何かにマニアックな先生がいてもいい。多様なスタイルを用意し、子どもが自分で選べる仕組みが大事だと気づきました」
以降、「良い」と思う授業スタイルを広めるだけではなく、子どもが選べる多様な学びを揃えることに注力するようになったという。
AIも教師も、使い方次第──「学び方を学ぶ」
たとえば横浜創英では英語の授業も複数の選択肢から選べるようになっている。教師主導で学ぶ部屋、友達と学ぶ部屋、企業の実践を学ぶ部屋などだ。
「最初は『誰々ちゃんと一緒がいい』という選び方かもしれません。でも英検が近づけば、その試験に合格した子と勉強した方が効率的だと気づいたり、ネイティブの先生と練習した方がいいとわかる。こうして自分の目的に応じて学び方を選ぶ感覚を養います」
