欧米主要国でもコロナ禍対策で2020~21年にかけて財政赤字が急拡大したが、22年には概ね減少に転じている。ウクライナ侵攻などの影響による赤字要因はあれど、バラマキをその後も毎年続けている国はない。ここにも日本の「ゆでガエル」状態が際立っている。
成長神話の終焉と
問われる政治の責務
どうしてこのような〝愚行〟が繰り返されるのか。
原因として、1996年から実施された小選挙区制の導入の影響を指摘する声が少なくない。特定の争点に絞ったシングルイシュー型の政策が注目され、バラマキを加速させたという。
しかし、私は問題の「根っこ」はもっと深いところにあると思う。それは、戦後一貫して続けられてきた「成長依存主義」だ。
私は政治の最大の役割は「分配」にあると考えている。ところが日本の政治はバブル以降、分配に大きく意を用いることなしに来たと思う。
経済成長でパイが大きくなることで分配問題が大きな政治課題にならずにすんだ時代が続いたからだ。戦後復興から高度成長、そしてバブル期に至るまで、「成長」によって多くの社会問題が解消されてきた。実際、累進度の強い所得課税制度とあいまって「一億総中流」と呼ばれる「平等社会」が実現した。
ところが、経済、社会の成熟によって大きい成長が期待できない時代になり、自由化による企業の効率化競争、さらには少子高齢化など、新しく出てきた大問題に対しても、かつての幻想を追うかのように「成長」に解決を託したのだ。
その結果が1000兆円を超える日本政府の債務残高と30年間続いたゼロ金利政策だ。この間、成長依存から所得課税の累進度を大幅に緩め、雇用形態の自由化を進めて非正規化が進んだ。その結果、所得格差が開き、今や「中流」がいなくなったといわれるような状態だ。

