財政破綻を回避する
二つのカギ
そのヒントを示しておこう。
それは、これまでの当たり前を当然視せず、国の役割、国民の役割の基本に立ち返って考えることだ。夕張市では、かつて171床を有する総合病院があったが、財政破綻後はわずか19床の診療所に縮小された。当初は「医療崩壊で死人が続出する」と懸念されたが、実際には死亡率も平均寿命も大きく変わらなかった。
変わったのは死因の内訳だ。脳疾患や心疾患による死亡が減り、老衰が増えたのだ。それは大まかに言い換えると病院で死ぬか、自宅で死ぬかの違いだともいえる。あえて大胆な言い方をすると、医療費の大幅削減により、結果として過剰診療が減り、「天寿を全うする」に近い状態になっているとみることもできる。
もう一つは「公共的なこと」=「みんなのこと」の「自分ごと化」である。福岡県大刀洗町でのごみ処理についての議論の例だ。家庭ごみの4割が生ごみで、その7割が水分という事実を知った住民が、「それならごみの水分を絞ってから出そう」という。その分、焼却時の火力の費用節約ができるという発想だ。
行政が「ごみを減らそう」を声高に訴えても、何をすればいいか分からない住民が多い中、大刀洗町では多少の面倒くささを受け入れながら、行政サービス、すなわち「みんなのこと」を「自分ごと化」し、町の税金の使い方の改善を図ろうということだ。
政治家が国民に自助や共助を促すのであれば、まず「公助」の実態・課題を真摯に、丁寧に説明するべきだ。そうすれば、庶民感覚や良心を持つ住民たちは「自分たちに何ができるか」を考え、自ずから自助や共助となる行動を起こすのだ。
こうした身近な事例と国家の事業は別物に見えるかもしれないが、決してそうではない。公共的なことを誰が担うのか、そのうち行政はどこまで担うのか(税金を使うのはどこまでか)、という根本的な命題がここにあるからだ。また、教育も医療も少子化対策も、最終的には自治体単位で予算が執行される。
だからこそ、まずは、自分のまちの課題を知り、まちにとって本当に必要なことは何か、そのうち行政がやるべきことは何か、また、自分たちには何ができるのかを真剣に考え、行動することが重要だ。この積み重ねがバラマキ、ムダを排除し、筋肉質な行政事業とコミュニティーの再生につながる。付け加えるならば、その結果、芽生えるのが「愛郷心」であり、その先に「愛国心」もある。
遠回りのように見えても、国民一人ひとりが自分のまちを知り、課題を知り、愛郷心を育むことが、国全体のあり方を考える土台になる。それが健全な財政運営をもたらし、無責任なポピュリズムに対する抵抗力にもなる。
「隗より始めよ」という。日本で政策検証が行われるようにするには、まず自分の足元の課題を見つめ、自分たちでも物事は変えられるという体験をすることが大事だ。私自身は「自分ごと化会議」という形でそれを実践している。(聞き手・構成/編集部 梶田美有、大城慶吾)
