大国主神と重なる伊勢津彦伝説
『伊勢国風土記』逸文にはもうひとつ伊勢国号の由来を説く条があるのだが、そこにも伊勢都彦命は「伊勢津彦」として登場している。この条はやや長いが、要約すると次のようになる。
「神武天皇が東征したとき、天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)の十二世孫である天日別命(あめのひわけのみこと)はこれに随行し、大和に入ると、神武から『大和から遠く離れた国を平定せよ』と命じられて剣を授かった。天日別命がこの命に従って東に向かうと、とある村に伊勢津彦という神がいた。天日別命は伊勢津彦に『おまえの国を奉れ』と命じたが、伊勢津彦は『私はよい国を探してここにたどりつき、もう長いこと住んでいるので、いやだ』と答えた。
だが、天日別命が兵をおこして殺そうとしたので、伊勢津彦は帰順し、『私の国はすべて天皇に奉ります。私はもうここにはいません』と誓い、さらに『私は今夜、大風を吹かせて高潮を起こし、波に乗って東に去ります』と言った。夜中になると、確かに大風が起こり、伊勢津彦は波に乗って東国へ去ってしまった。伊勢を古語で『神風の伊勢国、常世(とこよ)の浪寄(なみよ)する国』と言うのは、このことにもとづいているのだろう。その後、天皇は伊勢津彦を信濃国に住まわせた。
帰順させた天日別命が神武天皇に復命すると、喜んだ天皇は『その国を、国つ神の名をとって伊勢と名づけなさい』と命じ、天日別命に伊勢国を領地として与えた」
この条では、前出の伊勢国号由来条とは異なって、伊勢の国号が伊勢津彦に由来していることになっているが、それはともかくとして、伊勢津彦が伊勢に土着の神(あるいは豪族)として描かれていることは読み取ることができよう。すなわち、伊勢における伊勢津彦の地位は、出雲における大国主神のそれと類似している。
しかも、伊勢津彦は天つ神の子孫である神武天皇に仕える天日別命から土地の奉献を強いられたのだから、その姿は天つ神から国譲りを迫られた大国主神とますます似通ってくる。ちなみに、天日別命は伊勢神宮外宮の社家である度会(わたらい)氏の祖神である。
こうした伊勢津彦と出雲の近親性をにおわせる伝承や、彼を「出雲の神の子、出雲建子命」とする前掲の『伊勢国風土記』逸文の説話は、やはり伊勢津彦が出雲系の神であることを示しているのだろうか。伊勢津彦は出雲の出身で、国覓(くにまぎ)の結果、伊勢に住み着いたということなのだろうか。
ちなみに、江戸時代の国学者・本居宣長も『伊勢国風土記』逸文の伊勢津彦伝承に注目し、伊勢津彦を出雲系の神と考えている(『古事記伝』十四之巻)。
