*この記事は、『伊勢・出雲に秘められた聖地・神社の謎』(三橋健編、古川順弘執筆、2025年12月刊行、ウェッジ)から一部を抜粋したものです。
伊勢都彦命を出雲神とする『伊勢国風土記』逸文
伊勢と出雲とのあいだに直接的なつながりがあったことを物語ろうとする史料がある。それは『伊勢国風土記』逸文(いつぶん)である。
官製の地誌である『風土記』は和銅6年(713)の元明天皇の命によって各国で編まれたものだが、完本として残されているものは『出雲国風土記』など5書のみで、これら以外は、断片的な記述が後世(平安時代以降)の文献に引用されるかたちで残されているにすぎない。こうした断片的な記述を「逸文」と言うが、『伊勢国風土記』逸文はそのひとつである。
その『伊勢国風土記』逸文のうち、伊勢と出雲のつながりを記すのは、伊勢国号の由来を説く条で、原文(訓み下し文)は次の通りである。
「又云ふ。伊勢と云ふは、伊賀の安志(あなし)の社に坐(いま)す神、出雲の神の子、出雲建子命(たけこのみこと)、又の名、伊勢都彦命(いせつひこのみこと)、又の名、天櫛玉命(あめのくしたまのみこと)。此の神、昔、石もて城を造り、其の地に坐す。ここに、阿倍志彦(あへしひこ)の神、来集(きつど)ふ。勝たずして還り却る。因りて名と為すなり」
伊勢と伊賀が出てくるが、伊賀国は天武天皇9年(680)に伊勢国の一部を割いて成立した国で、元来は伊勢国に含まれる地域であった。この逸文を読解するには、このことを念頭に置く必要がある。
逸文の内容は要するに地名説話で、「かつて伊勢都彦命という神が伊賀の安志社(三重県伊賀市石川の穴石神社か)に石で城を築いて鎮まり、阿倍志彦神(伊賀市一之宮の敢国神社の祭神か)が来襲してきても、これを撃退した。そのために国名を伊勢(イセ)と言うようになった」という話である。伊勢(イセ)という国号は、伊勢都彦命という神名に由来するのではなく、この神が築いた石城(イシキ)の転訛なのだと説かれているところがポイントである。
ここで注目されるのは、伊勢都彦命という神名が「出雲の神の子、出雲建子命」の別名として説明されていることだ。もし「出雲の神」を大国主神(おおくにぬしのかみ)と解するのであれば、出雲建子命=伊勢津彦命とは、大国主神の御子神ということになる。伊勢とは、出雲の大国主神の御子神が鎮まった土地なのか。
