石坂のほかにも、経済界の 〝大立者〟である渋沢栄一、森永製菓創業者の森永太一郎、日独伊三国同盟を結んだ外交官の松岡洋右、日本開発銀行初代総裁の小林中、日本興業銀行頭取の中山素平など、日本を代表する人物たちが彼に心酔し、支えたのも、その誠実さゆえだった。また、長い時間を掛けて丁寧に育てた種が実を結び、ここぞというときに生きた結果であった。
冒険心をなくした国は
滅びる
若き日の数々の大勝負、石油利権の獲得への苦闘、さらに利権を得てから実際に石油を掘り当てるまでの幾多のトラブルと、それを切り抜けるドラマの数々は、本書に譲る。
ここでは象徴的なエピソードをひとつ紹介しよう。
当時、山下の挑戦を痛烈に批判する東京大学教授がいた。「油田保有など日本には分不相応で、リスクが高い」と、ネガティブキャンペーンを展開した人物である。ところがアラビア石油成功後、その教授のゼミ生が入社面接で山下の前に現れ、こう語った。
「先生は、自分が間違っていたと悔いていました。山下社長は信頼できる経営者で、日本で最も魅力のある会社はアラビア石油だと。そして『冒険心をなくした国は滅びる』とも」
学生が〝教授の受け売り〟として披露したその言葉は、かつて山下が、件の教授に突きつけたセリフそのものだった。
「これからの事業は新しいイバラの道だ。しかし、人間にとって〝何もしない〟ことほど悪い行為はない。私はあえてイバラの道を行く。はっきり言っておきたい─冒険心をなくした国は滅びる!」
批判者が、最後には最良の支援者となる。この逆転劇が象徴するのは、「誠実こそが最大の資本である」という山下の経営哲学の強さである。
アラビア石油は利権獲得から2年後の1960年に油田を発見、即座に利益を生み黄金期を迎えた。しかし、山下は64年に心臓発作で倒れ、病床からの経営を余儀なくされる。そして「まだやりたいことの3%もできていない」と語りながら、67年に78歳で生涯を終えた。
山下の没後、アラビア石油は高収益企業の名をほしいままにするが、76年に創業メンバーの水野惣平が社長を退くと、通商産業省官僚の天下り先となり、かつてのフロンティア・スピリットは次第に薄れる。安定的な利益に安住し、リスクを避ける経営へ転じた。
2000年、サウジアラビアとの契約更新交渉では、提示された条件に対し「採算が合わない」と判断し交渉を拒否。結果、契約更新に失敗した。03年にはクウェートとの利権延長にも至らず、08年1月、アラビア石油は中東から完全撤退した。
事業撤退後も存続していた企業としてのアラビア石油も、25年4月に富士石油へ吸収合併され、歴史的役割に幕を下ろす。こうして国民の記憶から消えていった。
しかし彼の言葉は、今も私たちに突き刺さる。
「冒険心をなくした国は滅びる」
本書を通じ、忘れられた傑物の息吹が再び灯ることを願っている。
1月号本誌、53頁、55頁の写真クレジットについて「JIJI」としておりましたが、正しくは、「JIJI/THE ASAHI SHIMBUN」です。
