かつて日本に、中東で自ら油田を掘り当てた企業があった。アラビア石油である。1970~80年代には利益額で国内トップ10の常連であり、石油価格が高騰した石油ショック時には、自前で油田を持つ強みを最大限に生かし、トヨタ自動車や松下電器産業(現・パナソニック)、日立製作所などを凌ぎ、日本一の高収益企業となった。しかし、その歴史を知る人は今ではほとんどいない。
戦後日本にとって資源確保は国家の死活問題であった。誰もが不可能と考えた中東の石油利権獲得に単身で挑み、〝日の丸石油〟という大仕事をやってのけた人物が、アラビア石油の創業者・山下太郎である。
山下は、時代の荒波に翻弄されながらも、常に果敢な挑戦を続けた 〝ヤマ師(投機家)〟だった。
20代でオブラートの特許を取得して起業すると、その資金を一攫千金の投機話に注ぎ込み一財産を築く。
例えば、ロシア革命さなかのウラジオストクで外務省を巻き込んだ鮭缶の輸入で大儲けしたり、大正の米騒動では政府公認による中国米の密輸を買って出たり……。戦時中には満州に出ていって、満鉄(南満州鉄道)の社宅を一手に引き受け、満州一の〝大家さん〟となって現在の貨幣価格にして6兆円を超える莫大な資産を得る。
もっとも、そこに至るまでにも億万長者と無一文を何度も往復したように、満州で築いた資産も終戦を機にすべて無に帰してしまう。
それでも「大きなことを成し遂げたい」という挑戦心は、晩年も衰えなかった。70歳を目前にたどり着いたテーマが「石油による国の自立」だった。
日本が戦争に突き進んだ背景には、資源不足、特に石油の欠乏がある。台湾、朝鮮半島、満州、東南アジアへと領土拡大が進んだが、結局どこからも石油は出ず、最終的に石油大国アメリカとの対立へと向かった。石油不足は戦争遂行能力を奪い、敗戦の一因ともなった。
山下はこう考えた。「国が破れたのも石油なら、国を興すのも石油だ」。そして残りの人生を「石油報国」に懸ける決意を固めた。戦後の経済成長の中で、戦争を二度と起こさない仕組みを作ること。つまり石油の調達で自立し、エネルギー安全保障を確立することこそが、日本の進むべき道だと確信したのである
今の日本で、ここまで大きな大志を抱く起業家はいるだろうか。
