2026年2月27日(金)

酷似する 「戦間期」と現代

2026年2月27日

戦後開拓と成田闘争
〝地続きの歴史〟からの教訓

 歴史を継承する動きも始まった。成田空港の近くには、成田闘争を含む開港に至るまでの様々な経緯や人々の苦悩を後世に伝えることを目的として「成田空港 空と大地の歴史館」がある。2011年6月に開館し、今年で15周年を迎える。収集資料は約5万5000点に及び、これまでの来館者は16万人を超える。

 「成田空港の歴史を知らない来館者が多いですが、詳しく説明すると理解してくれる人がとても多く、『二度と繰り返してはいけない歴史』などの感想をいただきます」

 そう語るのは、歴史館で解説員を務める鈴木敏之さん(71歳)である。鈴木さんは1977年、新東京国際空港公団(現・成田国際空港株式会社)へ入社し、成田空港とともに人生を歩んできた。

1960年代の航空写真を前に、当時の様子を説明する鈴木敏之さん(WEDGE)

 「シンポジウムは当時、日本で類を見ない取り組みで、反対同盟の方から勉強させてもらうことも多かったです。公団側も目的や意義があって一生懸命空港建設に取り組んでいた。しかし、結果としてその過程に問題があったことは否めません。建設する側の気持ちと土地を提供する側の気持ち、双方の〝折り合い〟が大切だったのです」

 国土交通省元次官で、東京大学公共政策大学院客員教授・宿利正史さん(74歳)は、日本の将来の公共政策を担う若者たちに成田の歴史を知ってもらいたいという思いから、毎年、国際交通政策の講義を受講する約30人の学生を連れて、現地でフィールドワークを行っている。

 「ビジネス・観光・国際交流・国際物流といった場面で、日本が世界で勝負していくためには、羽田空港と並び、成田空港はその玄関口です。成田の未来を描くには、その原点を知らなければなりません。学生からは『知らなかった』『再び繰り返してはいけない』といった感想が聞かれます。満蒙開拓の歴史なども含めて、大規模インフラ整備には共生の概念が不可欠であるということを成田の歴史は私たちに教えてくれています」

 「歴史にifはない」が、農民たちの苦難の人生に思いをはせることができていたら、未来は変わっていたかもしれない。戦後も含めて満蒙開拓の歴史を知ることは、21世紀の日本の将来を考えることにつながる。まさに〝地続き〟の歴史なのだ。

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Wedge 2026年3月号より
酷似する「戦間期」と現代 第三次世界大戦を防げ
酷似する「戦間期」と現代 第三次世界大戦を防げ

「新しい戦前になるんじゃないですかね」─。今から4年前、テレビ朝日の『徹子の部屋』でタモリさんが口にした言葉だ。 どのような意図で発言したのかはわからない。ただ、コロナ禍だった当時、全体主義体制を称揚するような空気が漂い、議会制民主主義の危機も顕在化し、「1930年代」に時代が近づきつつあると感じていた私は、その言葉に妙な〝重み〟を覚えずにはいられなかった。 昨今の様々な出来事を見るにつけ、その感覚は確信へと変わった。時代は、当時の「戦間期」を思わせる局面に入り、大国指導者が世界の行方、人類の運命を左右する時代になったのである。このままでは、最悪の場合、第三次世界大戦が起こる可能性も否定できない。 ただ、もし戦争になったとしても、大国指導者たちが戦場に行くことはない。いつも犠牲になるのは、市井の人々である。 英国を代表する歴史家、A・J・Pテイラーは、『ウォー・ロード 戦争の指導者たち』(新評論)最終章で日本のことを取り上げ、こう指摘している。「日本は戦争の指導者はただの一人もいなかった」 つまり、指導者不在のまま、日中戦争、太平洋戦争へと突き進み、日本は破滅したのである。当時、大衆も熱狂し、政治はそれに流された面もある。 一度始まった戦争を終わらせることは容易ではない。それは4年が経過したロシア・ウクライナ戦争を見れば明らかである。動乱の時代、今こそ歴史に学び、教訓、希望を見出し、この危機から「脱出」する必要がある。


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