アユを新鮮に生きたままに運ぶには、アユが入った容器をゆすりながら運ばなければならない。漁師の運転するトラックの荷台でヨネ子はゆすり続けて、大磯の吉田邸までたどり着く。
魯山人が焼いたアユの塩焼きについて、吉田茂は「季節としてはつきなみだな」と。しかし、かぶりついて食べつくした瞬間には「もう一匹頼む」と。
しかし、魯山人は「もうありませんねん」と。「二匹目が一匹目を超えることはない」と考えたためだ。手伝いの駄賃代わりにヨネ子にも食べさせた。
魯山人のエッセイ『鮎の名所』から。
「あゆのいいのは丹波の和知川(わちがわ)がいちばんで、これは嵐山の保津川の上流、亀岡の分水嶺(ぶんすいれい)を北の方へ落ちて行く瀬の急激な流れで、姿もよく、身もしまり、香りもよい。今のところここ以上のものを食ったことがない」
「食器は料理のきもの」
魯山人は、焼き物でも才能を発揮した。「織部焼」の人間国宝に推薦されるが辞退している。
美術評論家の大山(尾美としのり)が訪ねてきて、人間国宝を受けてはどうかという。魯山人は稼いだカネを古美術などに費やして、家計は火の車だった。使用人や織部焼の職人たちに支払う賃金も滞りがちだった。大山は「人間国宝になれば、作品の値段が3倍にも4倍にもなります。使用人さんらの助けにもなります」と説得するのだった。
「お断りします。わたしは、名誉や勲章とは無縁でありたいんや」と、魯山人はそっけない。
「織部焼」は、魯山人の死後も細々と続いたが、今ではあまりその名を聞かない。そもそも魯山人は焼き物そのものよりも、料理との調和を図るために自ら創り続けた。
魯山人のエッセイ『食器は料理のきもの』から。
「料理において尊ぶ美感というものは、絵とか、建築とか、天然の美というものと全く同じでありまして、美術の美というものも、料理上の美というも、その元はひとつで、同じ内容のものであります。
そこで、料理そのものを美化すると同時に、みなさまが毎日注意しておられる、料理を盛る器も、あれこれといろいろに苦心が払われているのです。料理を問題とする人は、勢い食器をも同等に問題とする。これが当然の成り行きであります」
