2026年5月14日(木)

造船立国ニッポンへ

2026年5月14日

 詳細は吉村昭『戦艦武蔵』(新潮文庫)に譲るが、第二号艦として三菱重工業長崎造船所で建造された戦艦「武蔵」もまた、極秘裏に建造され、「大和」と同様の運命をたどったと言ってよい。

 その戦艦「大和」を建造していたのが、田村さんの祖父が働いていた呉海軍工廠である。

 明治期の日本は、近代国家として西洋列強に伍していくため、天然の良港であった横須賀・呉・佐世保・舞鶴に鎮守府を設置した。

 その中でも呉は、湾の周囲を標高737メートルの灰ヶ峰をはじめとする山々に囲まれ、大型船に適した水面の広さや深さがあることから、1889(明治22)年、横須賀に次ぐ鎮守府として開庁し、その後は日本一の軍港として発展していく。呉海軍工廠は、呉鎮守府の造船廠と造兵廠が統一されて、1903(明治36)年に海軍直属の軍需工場として設立、のちに「東洋一」と称されるほどの設備と技術力を備えるに至った。これはまさに日露戦争開戦を目前に控えた時期であり、日本海軍の近代化と拡張政策の象徴でもあった。

海自呉地方総監部第一庁舎は、旧呉鎮守府庁舎だった(WEDGE)

日本海軍に影響を与えた
マハンの『海上権力史論』

 明治以降、日本が世界三大海軍の一国として台頭していく過程で、日本海軍に大きな影響を与えた米海軍の軍人がいる。1890年に『The Influence of Sea Power upon History 1660-1783』(海上権力の歴史に及ぼした影響─以下、『海上権力史論』)を著し、「Sea Power」の重要性を説いた、アルフレッド・セイヤー・マハンである。

マハン海上権力論集
麻田貞夫 編・訳
講談社学術文庫
1034円(税込み)

 「このマハン大佐を知らぬ海軍士官は、世界のどの国にもいないであろう」──。司馬遼太郎『坂の上の雲』(文春文庫)でもこう紹介されているように、マハンは、19世紀の帝国主義の時代、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃滅する作戦を立案した連合艦隊参謀・秋山真之も師事したことで知られる。

 『海上権力史論』は出版と同時に米国のみならず、各列強の指導者にもまた、広く読まれることになる。米海軍次官を務め、のちに大統領にもなったセオドア・ルーズベルトは、マハン信奉者の一人だった。日本の指導者たちも同様である。

 麻田貞雄 編・訳『マハン海上権力論集』(講談社学術文庫)で解説されているが、『海上権力史論』の翻訳が一番出たのは日本であり、マハンは翻訳が契機となり、「何人かの日本の役人や士官と愉快な文通が始まり、私の知るかぎり日本人は私の説に、どの外国人よりも緻密で注意深い関心を寄せてくれた」と自身の『回想録』で満足気に記している。


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