「戦後日本の造船業は、よくも悪くも真藤を中心に発展してきた」
こう語られることもある真藤を軸に、日本の造船産業史の盛衰を丹念に描き出したのが、前間孝則『世界制覇』(上下巻、講談社)である。
真藤は、九州帝国大学造船学科卒業後、34年に兵庫県相生市にある播磨造船所に就職した。自ら「反逆児」と名乗り、上司の言うことを聞かなかった。そのためか、日米開戦後、呉海軍工廠に体よく出向させられる。だが、ここで人生の転機が訪れる。戦艦「大和」の実質的な建造責任者で、造船技術士官の西島亮二大佐と出会ったのである(詳細は次頁著者インタビュー参照)。
真藤はこの西島のもと、多くのことを学び、戦後、革新的な建造法や新工法を次々に生み出した。
敗戦後、真藤にはもう一つの転機があった。電電公社総裁時代、『日経産業新聞』(82年2月2日付)のインタビューにこう答えている。
「その後の人生に最も大きな影響を与えたという点ではNBCへの転職を越えるものはない。石川島播磨、電電公社というその後の歩みの遠因はすべて、このNBCへの転職に端を発するからである」
NBC(ナショナル・バルク・キャリア―ズ)──。米国の海運・造船企業である同社は51年、かつては敵国として戦い、戦艦「大和」を建造した旧呉海軍工廠を借り受け、世界最大のタンカーなどを次々と建造し、世界を驚かせた。
NBCのオーナー経営者ダニエル・ラドウィックは米国を代表する経営者かつ大富豪、しかも徹底した合理主義者だった。真藤はNBC呉造船部の日本側の技術責任者として、かつて戦艦「大和」を建造した技術者らを率い、ラドウィックの合理主義的経営も身につけていく。
NBC呉では、米国流の合理主義と日本海軍で培われた高度な技術が融合され、52年には第1船「ペトロ・クレ」が、58年には世紀の巨大船「ユニバース・アポロ」などが建造された。NBC呉で培われた技術は脈々と継承され、その後、真藤の牽引するIHIは、75年に日本船籍史上最大の原油タンカー「日精丸」を建造し、トップ企業の三菱重工と肩を並べるまでに発展した。戦後日本の造船業は、まさに真藤が切り拓いた歴史ともいえる。
チャイニーズ・マハニズム
マハンを研究する中国
だが、時は過ぎ、日本は韓国・中国の猛追を受け、〝造船大国〟の地位を明け渡すことになった。
その中でも特筆すべき存在は中国である。ここで、先に触れたマハンの『海上権力史論』を改めて振り返る必要がある。
「中国はマハンの戦略をなぞっているようだ。まさに、〝チャイニーズ・マハニズム〟ともいうべき国家戦略を進めているのではないか」
かつて、強大化してゆく中国について取材していた時、海上自衛隊の元幹部は、私にこう話したことがある。2012年のことだ。あれから14年──。それは現実となった。
元自衛隊統合幕僚長の河野克俊さんもこう語る。
「中国は大陸国家から海洋国家へと変貌を遂げている。当然、マハンを研究していることは間違いない」
マハンの言う「シー・パワー」に造船業が欠かせないことは論を俟たない。その意味で、造船業の盛衰は国家の盛衰と表裏一体と言っても過言ではない。だが、それはただ単に〝船を造る〟ことだけに限らない。パート5でも指摘したように、修繕も含めた「総合力」が欠かせないからだ。また、巨大な外航船のみならず、内航船を持続可能な形で維持・発展させることも不可欠である。
神戸大学名誉教授で、現在、海事博物館顧問の矢野吉治さんは言う。
「日本には、古代から〝海〟という『世界に通じる無限の道』があり、それが日本の造船業や水運を発達させる原動力になってきました。造船業は高度な科学技術の集大成であり、その国の技術力や工業力を象徴するもの。海洋国家の日本にとって、造船業や付随する舶用産業は国家の基盤をなす重要産業なのです。
