開かれた依存関係を
閉じようとする動き……
近代以降、私たちは「自分のことは自分でやる」という自立の規範に長くさらされ、他者とのかかわり方や「依存」の作法を忘れ、その結果として、孤独や不安にさいなまれている。しかも、現代の「依存」には、「薬物依存」や「スマホ依存」など、とかくネガティブなイメージがつきまとうようになった。
ただ、「依存」とは、自分とは異なる相手と関係性を持とうとするからこそ成り立つものである。
トランプ大統領の「America First」が象徴するように、世界全体が自国中心、自分中心であることが当然であるかのような風潮に包まれる中、人間が生きていくうえで必要不可欠な「周りに頼る=依存する」という作法を根本から考え直すことは、「争わない社会」をつくっていくうえで、何らかの手がかりになるのではないかと感じている。
しかし、現在の世界では、そうした依存関係をむしろ、狭く閉じようとする動きが強まっている。
大国指導者、もっと踏み込んで言えば、独裁的な指導者が、本来多様であるはずの依存関係を、自分だけに依存せざるを得ない「閉じた構造」にして、権力を集中させようとしているからだ。
私は『争わない社会』の中で、かつて東南アジアで絶対権力をふるったカンボジアのポル・ポト、インドネシアのスハルト、フィリピンのF・マルコスを取り上げ、彼ら独裁者が暴力や脅しだけではなく、「言葉」を巧みに操って国家運営を行い、いかにして民衆との間に「閉じた依存関係」を形成してきたかを明らかにした。
私が繰り返し強調したいことは、こうした独裁者は、特殊な存在ではなく、どの国の、どの時代にも現れうる人物であるということだ。
現在のフィリピン大統領の父親であるF・マルコスを例に挙げよう。詳細は拙著に譲るが、マルコスは、1965年から20年の長きにわたって大統領の地位に君臨した。
マルコスが長期にわたり大統領の地位を維持できた背景の一つに、巧みな話術が関係していた。彼は「民主主義の強化」を謳いながら、実際には情報統制を進め、政府に批判的な勢力を徹底的に抑え込んだ。
72年9月に戒厳令を宣言した際には、「これ以外に国家を守る手段はない」とする論理を用い、社会全体をその論理に依存させる方向へと導いていったのである。
ここでいう「依存関係を閉じる」とは、権力者が提示する〝唯一の(正しい)選択肢〟に社会が縛られ、他の選択肢や批判的思考が排除されていく状態を指す。つまり、権力者の語る物語(ナラティブ)だけが正当化され、社会がその枠組みの中に閉じ込められていく過程といえばイメージしやすいかもしれない。
かつて思想家の鶴見俊輔は、第二次世界大戦中に日本の権力者らが振りかざした「国体」や「日本的」などの言葉づかいを「言葉のお守り的使用法」と呼んだ。それは、正統と認められている価値体系を象徴する言葉を用いることで大衆を惑わせ、自分の立場を守るために発せられる扇動的な言葉づかいのことであった。
洋の東西を問わず、権力者は言葉を介して民衆の心を掴もうとする。言葉を弄することで自分に依存せざるを得ない状況をつくりだそうとするのである。
スマートフォンさえあればSNSを用いた自由な発言が可能となった現代では、そうした兆候がわかりにくい形で広がる傾向が強い。それゆえに今こそ重層的な「予防」が必要である。いつの時代にも現れる「それ以外に方法がなかった」という、もっともらしい語りや閉じた構造を解体し、依存関係を開いていくことが、権力を乱用する「怪物」を生み出さないための予防手段となる。
