「中間集団」を再興し
「複数の依存先」の確保を
私たちは何からしていけばよいのか。それを考える前に、まず今を生きる私たちが置かれている現状を確認する必要がある。
日本でいえば、少子化や若年層の流動性が高まり、かつて当然のように一定の土地に根付いたコミュニティーがどんどん弱体化している。農協や漁協といった地域産業に紐づく組織も構成員の平均年齢が上昇し、存続が揺らいでいる。企業では労働組合も組織率が年々減少している。
つまり、国家(やそれに準ずるような大きな集団)と個人の間に位置し、両者を媒介しうる「中間集団」の存在が薄まっているのである。
明治維新を画期に近代国家を目指した日本では、殖産興業のプロセスで多くの人々が地方(農村)から都会へ出た。食いぶちを得るためだけではない。互いを監視するかのような従来の農村社会の息苦しさや不自由さから解放されたい人々が都会を目指した側面は否定できない。
その一方で、冒頭にも述べたとおり、「自分のことは自分でやる」という自立や自己責任の強調と、横の結びつきの喪失は「原子化(アトム化)した個人」を孤立化させた。
そうした個人は国家(やそれに準ずるような大きな集団)にたやすく絡めとられてしまう。何でも「自分でできる」という思い込みが、実は周囲に依存しているという実態を見えなくさせ、社会とかかわる意味をあいまい化している。
この傾向の中で低下する「中間集団」の存在感は、国家が誤った方向に暴走した時に、もっと大きな危機を招き入れることになる。
国家の意のままに動く自発性を欠いた「見せかけの中間集団」ばかりになれば、国家権力の拡大に歯止めをかける中間集団の機能は消失する。それだけでなく、国家は、面倒な中間集団を迂回して、諸個人と直につながることになる。そうした文脈では、その個人がいくら「自立」しているように見えても脆弱なままだ。根なし草になった個人は、大きな権力に対して無力だからだ。無力化された社会は、独裁的な指導者や権力者にとっては極めて都合の良い操作の対象になる。
誤解を恐れずに言えば、戦前の日本はまさにこうした状態にあったのではないか。
だからこそ、これまで述べたような歴史や教訓を踏まえ、私たちの周りにある様々な中間集団の意義を見つめ直し、「依存先が複数あること」や「様々な組織に属すること」が自分にとってどのような意味を持っているのか、改めて自覚する必要がある。
ことは中間集団をめぐる制度の話にとどまらない。初等教育の段階から、「これしか方法がない」という状況に対して、「違ったことを想像して発言することはいいことだ」と教育していくことも重要になる。算数や理科のように正解がある問題とは異なり、社会の課題には唯一の正解があるわけではない。そこでは、答えの幅を広げる批判的な精神が不可欠なのである。依存先を開いていく個々人は、自立した精神の上に宿るといってよい。
昨今、日本を翻弄している外交課題もそうである。私たちはいまだに「外交とは政府がやるもの」という考え方に縛られている。だが、それでは「政府にお任せ」の構造は変わらない。すべてを政府に代表させるのではなく、「日本の中間集団と他国の中間集団をどのように結びつけられるか」という発想から、中間集団の力で国際関係に厚みを持たせることも必要であろう。特に、これまで軽視されてきたグローバルサウスと呼ばれる途上国との関係においては、中間集団の力を活用した様々な国・地域と「開かれた依存関係」を深めていくべきである。
日本は災害大国であり、これまでに様々な国から助けられた歴史がある。災害が生じるたびに試みられた復興は、決して日本人の力だけによるものではなかった。日本の経験は、他者・他国への「依存」の重要性と、その現実を直視する勇気をもたなくてはならないことを教えてくれる。
国家と個人の間に横たわる「中間集団」を認識し、今こそ「開かれた依存関係」を再構築することが求められている。

