一休と良寛、二つの死生観
帰り道、私の頭に2人の禅僧が浮かんだ。
一休宗純と良寛である。
一休は死を直視した。どうせ死ぬ。だからこそ最後まで燃えろ。欲を持て。恋をしろ。酒を飲め。人生を味わい尽くせ。そんな激しい生の哲学だった。
私の生き方はどちらかと言えば一休に近い。癌になっても諦めなかった。手術を受けた。データを分析した。旅を続けた。原稿を書いた。私は死を恐れたのではない。死に負けたくなかったのである。
一方の良寛は違う。自然を愛し、子どもたちと遊び、静かに生きた。死が来るならそれもまた自然。無理に抗わない。風に散る紅葉のように人生を終える。そんな境地だった。
井上さんは良寛、私は一休
老人ホームで会った井上さんは良寛だった。人生を受け入れていた。死を受け入れていた。
私は違う。まだ旅に出たい。まだ書きたい。まだ知りたい。まだ世界を見たい。
私は一休である。井上さんは人生を畳み始めた。私はまだ人生を広げようとしている。生き方は違う。だが、どちらもその人らしい。そして、どちらも間違っていない。
長寿よりも生き切ること
人は長生きしたいと言う。だが、本当に大切なのは年齢ではない。どれだけ生きたかではない。どう生きたかである。井上さんは会社を興した。家族を支えた。昭和を生き抜いた。その人生は十分に輝いていた。
私は癌になって改めて思う。人生とは寿命の長さではなく、密度なのだ。
