うまく対処してきているのは、これらの戦争から身を避けて、国内で力をつけることに集中してきた中国である。19世紀の米国のように、他の大国が破滅的な戦争でお互いに殴り合いをしている時にあって、それらから距離を取るのは賢い戦略である。
それでは、どうしてクラウセヴィッツの言うように、明確な政治目的を定めて、それを合理的なコストで達成することができなくなっているのだろうか。四つの理由があると思う。
第一は核兵器である。核の影によって、決定的な勝利の可能性が遠のき、戦争によって得られる政治的成果は限られることになった。
第二に、外国の侵略者に対して虎のように戦うことを後押しするナショナリズムによって、戦争で大きな政治的成果を挙げることは難しくなった。
第三に、グローバリゼーションと相互依存によって、各国は領土を広げなくても豊かになれるようになった。経済的相互依存のために戦争が不可能になったわけではなく、戦争よりも貿易によって望むものを得る方が楽だと言いたいのだ。
第四に、技術とそれが現在の戦場に与える影響がある。複雑な軍事作戦を行うことができる能力を持っていたとしても、ドローンや即席爆発装置(IED)や自爆テロなどによって、地域を守る側の方が有利になってきている。
各国が自らの安全保障を心配しなくなるわけではない。結局のところ、自衛のための準備を十分しておくかによって、侵略者が利得を挙げられるかどうかが決まってくる。力の均衡を有利なものとしておくこと、信頼性のある抑止を維持することは引き続き重要である。
一方、以前に比して、自衛がやりやすくなり、侵略戦争をやる意味を失ってきていることは認識しておかなければならない。次の機会に、頭の良いシンクタンクの人間や、ロビイストや、自分の利益を図る外国の指導者が、ある国を指差して、ただちに対処すべき危険な存在であり、その国の体制は砂上の楼閣のようなものですぐに倒れるだろうと言った時、それを思い起こすべきなのだ。彼らは間違っているのだから。
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戦争はやる意味のないものになっているのか
国際政治、国際関係理論におけるリアリストの代表的な論客であるウォルトによる論説である。こうしたリアリストの世界観とは、一言で言えば、世界は「万人の万人に対する戦い」の場であり、各国はパワーの追求を行うので、紛争は不可避というものである。
そのリアリストのウォルトが慎重な言い方ながら、戦争はそれをやる意味のないものとなってきていると主張している点で目を引く論説である。ウォルトが言う、戦争はやる意味のないものとなってきているとの指摘が適切なのか、今後、戦争は実際に起こりにくくなるのかという二つの論点があろう。
