再編された「官僚のDNA」
日本では、資源集中が明治以来の官僚主導型国家の伝統と結び付く。明治政府は富国強兵と殖産興業を掲げ、官僚が産業、技術、人材を選び、財政、金融、教育を通じて民間を誘導した。
戦時期には企業活動と国民生活が国家目的の下に編成され、戦後には復興、輸出振興、産業構造の高度化が官僚主導を正当化した。目的や政治体制は異なっても、国家が目標を定め、官僚が重点分野を選び、民間を導く発想には連続性がある。
「官僚のDNA」とは、社会には国家が定めるべき目標があり、官僚は市場、企業、大学、自治体、市民よりも長期的かつ合理的に目標を判断できるという組織的思考である。官僚が共通基盤を支えるだけでなく、社会の将来像を描き、必要な産業と技術を選ぶという自己認識でもある。
その目標は富国強兵から復興と成長へ、現在は経済安全保障、技術主権、供給網、国土、食料、エネルギーの強靱化へ広がった。この思考は官僚だけで維持されてきたのではない。政治家は国家目標を掲げて指導力を示し、企業は補助金と政府保証でリスクを軽減し、大学と自治体は政府資金を得る。相互に国家主導を求める構造が形成されている。現在の積極財政と戦略産業支援は、明治以来の統治を現在の環境に合わせて再編したものなのである。
財政的誘導によって企業を動かす
古典的な国家統制は国有化と命令によって行われた。現在進むのは財政的誘導である。所有権は民間に残り、大学にも研究の自由が残る。それでも設備投資が補助金に依存し、研究組織が政府資金に頼り、事業リスクを政府保証が引き受ければ、政府は所有せずに進路を左右できる。
重点分野、公募条件、採択基準、補助率、成果指標を決めれば、企業と大学は政府が評価する方向へ自らを調整する。多数の組織が存在しても、同じ政府資金に依存すれば、社会の目的設定は政府へ集中する。
企業は消費者より政府の戦略分野を意識し、大学は政府資金を得やすい分野へ人材を振り向け、自治体は住民の必要より交付金に合う計画をつくる。選択肢と採算性を政府が形成すれば、財政的誘導は実質的な統制に近づく。支援が広がるほど、企業、大学、自治体が独立して判断する力は劣化する。
「国を守る」が大きな政府を正当化する
「国を守る」は官僚主導を拡大する魔法の言葉である。守る対象は軍事から、経済、食料、エネルギー、医薬品、インフラ、供給網、技術、データ、地域社会へ広がった。対象が増えるほど、政府が資金を投入し、企業活動を誘導し、取引を規制する領域も広がる。
個々の政策には目的がある。しかし「国民を守る」「供給網を守る」「技術を守る」「地域を守る」といった反対しにくい目的を積み重ねれば、経済と社会のほぼ全域が国家の関与対象となる。費用対効果や終了時期を問う議論も、「安全を軽視するのか」という二者択一へ置き換えられやすい。
政府には安全保障、法の支配、公正な競争、防災、教育、基礎研究などの共通基盤を支える責任がある。問題は、守るべき対象を際限なく広げ、対象ごとに支援企業と投資先を選ぶ構造が恒常化することである。
共通基盤を支えることと、政府が有望な企業や技術を選ぶことは異なる。この境界の曖昧さが官僚主導型国家を拡大させる。
