東京都だけではない。筆者の暮らす京都府南部の府立高校のホームページをいくつか見ても、全く地学も地学基礎を学ぶことができない(選択科目としても設定されていない)ところが多い。京都府南部は、日本で初めて「集中豪雨」という言葉が使われるような災害を起こした地域だが、そのような地域の住民が、さらに地学を学んだことがない者ばかりになりつつあるのである。
文部科学省と教育委員会は、
地学教育を受ける権利を保障せよ
教員免許の種類は、「中学理科」「高校理科」しかなく、物理・化学・生物・地学に分かれているわけではない。つまり、理科の教員は全員が物・化・生・地の全てが教えられる、ということが建前だ。しかし、現実には、各高校には、地学を学んだことがない、したがって地学教えるのが苦手だ、という教員ばかりのところがあり、そのような学校では、地学を選択することさえできない教育課程表(カリキュラム表)が作られているのだと考えられる。
世界全体のマグニチュード6以上の地震の内、20%以上が日本で発生している。日本の国土面積は世界の0.25%しかないのに、世界全体の活火山の7.1%が日本にある。台風も竜巻も、津波も高潮も洪水も、豪雨も土砂災害も、落雷もヒョウも、日本では繰り返されており、今後も必ず繰り返される。だから、防災は不可能で、減災という言葉に置き換えられている。
だから、日本は、高校で地学を学ぶ率が世界一であるべきだし、地学教育の普及で世界の見本になるくらいの気概を持つべきだ。
「大津波が押し寄せる地域の学校の教員の中に、地学を学んだ者がもう少しいれば…」「もし、地域の住民や、家族の中に地学を学んだ人がいたとすれば…」せめて命だけは守れたのではないか、こんなに多くの人命を失わずに済んだのではないか、と考えられる事例は今も多い。それぞれの災害に直面する場面で、もう少し、よりよい判断と行動ができていた可能性は高いのである。
あの阪神大震災からもうすぐ20年になる。
日本の未来のためには、防災教育を、内閣府や地方自治体の防災担当課に任せるだけではなく、文部科学省や教育委員会が、空洞化した地学教育に中身を入れていくことが、欠かせない。
まずは、全ての高等学校のカリキュラム表を調査し、全く地学分野を学ぶことができない学校には、せめて「地学基礎」が選択できるようにすることを急ぐべきではないか。そのための体制の整備が、教育行政の責務だと考える。
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