2024年4月29日(月)

パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2014年10月9日

 初めて会った時、パンフレットを見る正木に「苦労してきたな」と高垣は言った。それまで視覚障害者と接したことがなかったため、正木は自分を理解してくれる人に初めて出会ったと思った。その高垣から盲学校で将来のための資格を取り、柔道ではパラリンピックを目指す道を教えられた。

障害を受け入れることで開けた道

 天理大を卒業した翌年、徳島県立盲学校に通う正木はトルコで開催された世界選手権の100kg超級に初出場で優勝を遂げた。

 その大会の前に行われた視覚障害者柔道の全日本の合宿で、自分よりも重い障害を持つ選手たちに接し見えている自分がここにいてもいいのだろうか、と疑問に思う反面、その中にいることの安心感を覚えた。

 「落ち着けました。ここでは気を遣わなくてよかったのです。以前は遠くのものが見えているふりをしたりしていましたが、ここではそんなことをする必要もなく、先生やスタッフにも見えないものは見えないと素直に言うことができるし、言いやすい環境に安心感がありました。盲学校も同じです。だから自分が障害者として生きることを受け入れるのに時間はかかりませんでした」

 健常者のままであれば柔道は引退することしか考えられなかった。就職となるとさらに厳しいことは想像に難くない。

 「受け入れることによっていろいろな道が開けてきたと思いました。初めて出た世界大会で優勝することができましたし、盲学校で3年間勉強して、あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取れば柔道引退後にその資格を活かして仕事ができます。またスポーツトレーナーにもこの資格は使えます」

 「目が悪いことに気づいてからの方が、良いことが多くなりました。それまでは過酷な環境だったということでしょう」

 視覚障害者柔道こそ自分の居場所。そう確信した正木は2012年ロンドン・パラリンピックで世界の頂点へと駆け上がった。

 「嬉しかったというよりもほっとしました。いままで大きな期待を掛けられたことがなかったので、もの凄いプレッャーを感じたのですが、それが逆に良かったのだと思います。追い込まれなければできない性格なので、プレッシャーに背中を押される形で集中できました」

 「今の夢は東京パラリンピックに出場して優勝することです。僕はロンドンのあとから「パラリンピック4連覇が夢です」と言っています。日本の視覚障害者柔道の記録は3連覇なので、(藤本聰教諭 徳島県立盲学校の柔道部顧問1996~2004アトランタ~アテネ66kg級)その記録を抜くのが最終的な目標です。ロンドン、リオ、東京、その次まで勝つ。先は長いですね。その頃の自分がどうなっているのかわからないので、まずは東京という大きな夢を叶えてからです」

(写真 1、3、4ページ筆者撮影 2、5ページエイベックス・グループ・ホールディングス株式会社提供)


正木健人選手 主な成績
2002年 - 全国中学校柔道大会 90kg超級 準優勝
2004年 - インターハイ 団体戦 5位
2005年 - インターハイ 100kg超級 3位、団体戦 3位
2011年 - IBSA世界柔道選手権大会100kg超級 優勝
2011年 - 全日本視覚障害者柔道大会100kg超級 優勝
2012年 - ロンドン・パラリンピック100kg超級 優勝
2012年 - 全日本視覚障害者柔道大会100kg超級 優勝
2013年 - 全日本視覚障害者柔道大会100kg超級 優勝
2014年 - IBSA世界柔道選手権大会100kg超級  3位

  
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。


新着記事

»もっと見る