2024年4月21日(日)

Wedge REPORT

2014年12月25日

國松孝次(Takaji Kunimatsu) 1937年生まれ。東京大学卒業。61年に警視庁入庁後、大分・兵庫各県警本部長、警察庁刑事局長などを経て94年警察庁長官就任。99~2002年まで駐スイス特命全権大使を務める。

國松:そうした新規の移住者に対して優しいというスイスのコミュニティの特長は、外国人居住者が増えていく中で、維持していくのがやや難しくなっているのではないでしょうか。EU(欧州連合)やEFTA(欧州自由貿易連合)などの諸国からの外国人居住者が中心の時代は問題はなかったかもしれませんが、それ以外の第三国からの移住者が増えると、人々の間の文化的な摩擦が増えるなどして、スイス社会も変革を迫られるのではありませんか。

ブーヘル:移民問題は今のスイスの政治問題で最大かつデリケートなテーマです。スイスは明らかにグローバル化の勝者として世界有数の豊かな国になりました。国の門戸を開いて世界中から優秀な頭脳を引き寄せたのです。しかし、一方で負の側面として、移民のコミュニティとの同化や協調といった問題が生じました。60年代から70年代にかけてのイタリアからの移民はすでに第二世代、第三世代になっています。彼らはすでに、もとのスイス人よりもスイス人らしく振る舞っています。自然に溶け込むことでコミュニティの一員になってきました。

 しかし、一方で、スイスにやってくるすべての外国人がこうした姿勢を持っているわけではないのも事実です。3~5年働いて国に帰っていく外国人はコミュニティの一員になろうとは考えず、4つある公用語の1つすら学ぼうとはしません。問題なのは、おそらく彼らは納税者としてスイスの富に貢献しているにもかかわらず、市民としての役割を担わず、コミュニティにも関与しないことです。

國松:これまでスイスが採ってきた移民政策で、私が感心したのは、スイスの連邦政府がとても明確な移民政策を持っていることです。単純な同化政策でもなく、多文化併立政策でもなく、彼等をスイスの社会の中に「統合」するという政策を採ってきた。スイスの人たちを外国の人たちと調和させる政策だったとも言えます。

ブーヘル:これまでの移民政策がうまくいったという点は私個人としても同意見です。スイスは小国で天然資源もありません。ではどうやって今のような、世界有数の豊かな国になったのか。スイスの成功のカギは19世紀から国を開いてきたことです。少なくとも海外からスイスに働きにやってきたい人たちにできる限りベストな仕組みを与えてきました。クリエイティブで働く意欲にあふれ、付加価値を増す人々を積極的に受け入れてきました。

 世界最大の食品会社であるネスレや、その他のグローバル企業の多くが19世紀の移民によって創業されました。第二次世界大戦後も移民の受け入れによって革新的な人々をスイスに招き入れ続けた結果、多くの富が生まれました。

 もちろん、彼らはおカネを生み出すだけでなく、社会の中で責任ある役割を担いました。税金を納め、スイスの基準に従い、参政権を得るのは難しいにもかかわらず、コミュニティの一員となり、社会の役割を担ったのです。有能な外国人をスイスに引き付けるために、給与水準や公共インフラ、医療、学校教育などの様々な条件を魅力的に保ってきたということです。


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