今国会で審議されている安全保障関連法案は、本当に「戦争法案」なのだろうか。
「集団的自衛権保有すれど行使せず」という“解釈”によって生み出されてきた不都合な問題にも目を向けるべきだ。
集団的自衛権の本質見極めた議論を
「戦争ハンターイ、戦争ハンターイ」
6月24日、国会周辺。安全保障関連法案に反対する大規模な抗議集会が開かれた。
高齢者の姿が目立つ。聞けば、「安保闘争」を思い出すと語る人が少なくない。1960年の日米安保条約改定をめぐる「60年安保」、あるいはその10年後の「70年安保」。あの頃との最大の違いは、若年層の関心度だろう。
昨年7月に安倍政権が集団的自衛権の行使を認める閣議決定を行って以来、新聞には「平和主義を覆す」「9条破壊」「立憲主義の否定」という記事が踊ったが、本当にそのようなものなのか。集団的自衛権について議論した有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)のメンバー、細谷雄一・慶応大学教授はブログに次のように綴る(要旨)。
──集団的自衛権といえども、「自衛権」です。つまりは侵略国に対して対抗することが「自衛権行使」の本質であり、侵略国がいないのに、自らが他国に攻撃を仕掛けるとすれば、それは「自衛権行使」とはいいません。「専守防衛」を一国主義的に行うか、あるいは国際協調主義で行うかが、今回問われていた大きな問いであり、日本の安全保障政策が、より国際協調主義に向かっていくのが閣議決定の本質─
憲法学者が「安保法案は違憲」と衆議院憲法調査会で表明してから反対論は拡大した感があるが、決して専門家が違憲で一致しているわけではない。
例えば、国際法の専門家、村瀬信也・上智大学名誉教授は、弊誌2014年7月号への寄稿「集団的自衛権の行使に憲法改正の必要なし」において、次のように指摘している(要旨)。
──集団的自衛権の行使を禁止する条約も憲法規定もない。内閣法制局は、憲法「解釈」上、集団的自衛権は保有するが行使できないとしてきたが、これは憲法解釈から内在的に引き出されるものではなく、政策的観点からそうしてきたものと言わざるを得ない。実際、日本政府は自衛権について何度も政策変更を行っており、集団的自衛権の行使容認に踏み切るかどうかは基本的には政策的な問題である─
北朝鮮がミサイルを日本海に何度も発射し、日本の少なくとも3倍を超える国防予算を誇る中国が尖閣諸島や南シナ海で領土的野心を隠さない。そういう環境の中で、いかに平和と国民の安全を守るかという観点からもっと議論がなされるべきではないだろうか。