三菱自動車工業は、米国での乗用車生産から撤退する方針を決めた。米国の乗用車市場は中国に抜かれたとはいえ、景気回復からこのところ絶好調だが、慢性赤字から経営の重荷となっていた米国での現地生産から撤退。経営資源を中国、東南アジアなど新興市場に集中することにした。
三菱自動車は米国の他にも欧州(オランダ)、豪州での現地生産が重荷となっていたが、2008年に豪州、12年にオランダから撤退しており、今回の米国からの撤退方針により懸案事項の解消に目処をつけた。
撤退を決めたのは米イリノイ州の生産子会社「ミツビシ・モータース・ノース・アメリカ・インク」(MMNA、本社カリフォルニア州サイプレス)。元々は、1988年、米クライスラー(現フィアット・クライスラー・オートモービルズ)との合弁会社「ダイヤモンド・スター・モーターズ」(DSM)としてスタート、その後、三菱自動車の100%子会社になっていた。
だが、三菱自動車にとって北米事業は、会社創立以来の懸案事業だった。元々、三菱重工業の自動車事業だった同社は昭和40年代に吹き荒れた「貿易・資本の自由化」の嵐の中で、三菱重工と旧クライスラーの日米合弁企業として設立されたが、その際、三菱重工とクライスラーとの間で結ばれたUSDA(合衆国流通契約)契約によって「三菱製車両の北米での販売権が独占的にクライスラー社に与えられていた」(三菱グループ関係者)という不平等契約があり、その後、日本メーカー各社が北米事業を拡大していくなかで、三菱自動車にとっては大きな足かせとなるという事情があった。
その後、USDA契約は徐々に緩和されていったが、それでも日本メーカーが北米進出するにあたってUAW(全米自動車労組)の組織化を避けたにもかかわらず、三菱はDSMの設立にあたってUAWの組織化を余儀なくされた。MMNAでは工場内でのセクハラ事件も発生、最近では年間生産能力約20万台に対して7万台弱(14年)と、お荷物状態だった。
同社ではMMNAでの生産を今年11月末をもって終了し、生産モデル「アウトランダー・スポーツ」(日本名RVR)は、岡崎工場(愛知県)に集約、閉鎖したMMNAの生産工場はUAWの協力を得ながら買い手を探している。ただ、現状は難しそうだ。
それというのも、同工場は戦闘力では全米一といわれているUAW組織の下にあるからだ。米国市場での販売増から現地工場の拡大策はないかと探っている富士重工業なども売却先の有力候補となりそうだが、先行きは不透明だ。
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