2024年11月22日(金)

山師の手帳~“いちびり”が日本を救う~

2015年12月30日

貧困と密輸のデススパイラル

 アフリカ各国を回ると貧富の差が拡大している事が分かる。ルワンダなどはまだマシな方で今回歴訪したエチオピアやジブチそして資源大国のコンゴ民主共和国は大半の貧困層のスラム街に行くとかなり厳しい環境である。2割の金持ちが裕福な生活をして8割の貧困層が極限の生活を余儀なくしているという感覚である。

 ルワンダでは正式な公表数字はないが中央労働組合会議によると労働人口440万人のうち女性が240万人で失業率は10%と報告している。但し人口の大半は地方に住んでおり農業従事者の失業率は分からないと聞いた。失業者の仕事が見つからないと反政府軍に雇われるケースが昔は多かったようだが現在は落ち着いてきたようである。

 コンゴ民主共和国(DRC)やウガンダやブルンジやタンザニアは更に貧困度が高く犯罪件数は多いようである。事実、今年の夏の荷抜き事件はタンザニアの通関業者と税官吏が共謀した事件であったがコンフリクトミネラルにタグ付けして反政府軍の資金源を断つのはアングロサクソン的な発想だ。

 さて、今回のパート2も話が長くなってしまった。ルワンダを見ながらヨーロッパの宗主国「ベルギー」と世界の警察「アメリカ」の話題が気になって中々本題に入れなくなってしまった。

もう一つの重要テーマ中国

 実はもう一つ重要なテーマがある。それはルワンダやアフリカ各国で繰り広げられている大国中国の挙動である。

 日本は長年にわたってアフリカを支援してきたが、過去10年間は日本経済の足踏みと政権の不安定から外交面でのアフリカ政策が「おざなり」になっていた。一方、中国のアフリカ外交は1990年代の後半から天然資源の獲得と本格的な新アフリカ外交政策に舵を切り替えていった。

 2005年以降の中国のアフリカへのトップ外交は目を見張るものがあった。アメリカやフランスを凌ぐ力の入れ方で経済的にもアフリカ市場を取り込んでゆくような動きであった。

 一方の日本は1989年の冷戦終結時に余裕のなくなった欧米からのアフリカ支援が消えて行く中でTICAD(アフリカ開発会議)を提唱したわけである。アフリカ各国からの要請も強く1993年に始まったTICADⅠは5年ごとに日本で開催する事になり2013年6月の横浜TICADⅤでは39名の国家元首・首脳を含むアフリカ51か国が参加し世界最大級のアフリカ開発会議に成長した。その後のアフリカ外交は安倍首相の2014年1月のアフリカ歴訪からさらに新たな段階に入ったように思われる。

 今回の日本アフリカ友好議員連盟のミッションの一員としてアフリカを回ったが各国で中国の風評を聞かされることになった。良い噂も、悪い噂も聞かされたのだが、日本が中国とアフリカで張り合う事はないし、日本は日本らしいアフリカとの付き合い方をしてゆけば良いだけの話である。それでも、こと隣国の中国のことが気になるのが日本人である。

 次回の「ルワンダの夜明け」パート3はどうすれば日本からのアフリカ開発が合理的に実現できるのかについて報告させて頂きたい。


  
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