松山 建物も、昔はポータブルでしたよね。退蔵院の本堂もほかのお寺から移築したものですし、移築の仮置きなどのために、ああいうスペースが必要だったかもしれませんね。
芳澤 ポータブルといえば、ポータブルな庭もあったんです。「盆仮山(ぼんかさん)*6といって、その原型が「乾泉水(からせんずい)」で『源平盛衰記』*7には高倉天皇の幼少時、紅葉を盆に植えて持ち運んだという記録があります。下って室町時代、盆仮山を愛したのが室町幕府八代将軍の足利義政。京都中の名石を集めるんですが、石には持ち運べる大きな盆が付いている。この盆仮山が、石庭のヒントになっていると思います。
重森 考えてみると、枯山水の庭が登場するのは応仁の乱*8の後です。一番経済的に疲弊していて、建物を建てるだけでも必死の時に、やっと修行する空間が整えられてきたら、次は「庭だ」と。でも、お金がない。だから質素ながらも楽しめて、なおかつ禅の精神性を表現できるものは何だろうと考えたら、枯山水だった。人間って逆境にあるときにものすごい力を発揮するものですよね。その力を枯山水の庭からは強く感じます。
数学から見た石庭
合原 石庭は、美しい庭を作ろうとした結果、15の石を配したのでしょうが、せっかくだから15に少しこだわると、石庭には七五三説*9がありますね。3と5と7は、奇素数の最初の3つでもあり、3、5、7を足すと15になる。また、差が2になる2つの素数の組を双子素数というんですが、3と5は最小の双子素数です。それから、庭の石を五・2・3・2・3に分けていますが、4がないですよね。フィボナッチ数列*10は、4を飛ばして、2・3・5となります。そして、その数列の隣り合う数の比を計算し続けると黄金比*11に近づいていくんです。
─石庭が黄金比でできているという説もあります。
合原 厳密に黄金比になっているかは別にして、まあまあ近いところの比率で心地良さとか美しさを感じるというのは、さまざまな例で知られています。
重森 作庭の観点から言うと15よりも3ですね。石の基本的な組み方は、「三尊石(さんぞんせき)」と呼ばれる3つの石組みです。平安時代の『作庭記(さくていき)』*12に既に登場していて、仏さまとは関係ないのですが、とてもバランスが取りやすいんです。もう少しバランスを取りたければ2石足して5石、さらに2石足して7石と、いずれも奇数なんです。
合原 でも、石庭には2石が2カ所ありますよね。あれはどういうふうに理解するのですか。
重森 2カ所にある2石は、全部端に追いやられています。石庭の東側の正式な玄関から入らせていただく機会があり、ふと見ると一番大きな石が迫って見えて、そこから西の方向に向かってきれいに遠近法で石が並んでいるんです(左上写真)。その一番奥にあるのが2石。西側のほうから見ても、やっぱり一番奥のところに2石がある。しかも、その2石がすごく小さい石。ということは、遠近法の要になる使い方をしているんだと思います。
*6 盆の上に石や砂などを配し、自然の風景を模したもの。盆石、盆景
*7 鎌倉時代の軍記物語。作者、成立年代ともに不詳。48巻。げんぺいじょうすいき、とも
*8 応仁元(1467)年~文明9(1477)年
*9 方丈から見て、左から5、2、3、2、3と並ぶ石組を、祝儀に用いるめでたい数「7、5、3」に見立てる説
*10 12~13世紀のイタリアの数学者・フィボナッチ(後世の略称)に由来する数の列。「1、1」より順に、2つの数の和を次の数として、1、1、2、3、5、8、13……となる
*11 古代ギリシャより用いられてきた、最も調和的で美しいとされる比率。近似値は1対1・618で、およそ5対8
*12 平安中期~後期に成立したとみられる日本初の造園書