2024年11月26日(火)

ペコペコ・サラリーマン哲学

2010年2月1日

 戦争中は、母と姉と私の3人で長野市内に疎開しましたので、小学校2年生から5年生までの間は、父と一緒ではありませんでした。中学になってからまた一緒に生活をしましたが、唯一、父が教えてくれた教科が高校時代の漢文でした。

 家はとても貧乏でしたので、大正生まれの長兄・姉・次兄はそれぞれ、豊島師範学校・女学校(聖学院)・青山師範学校に進みました。兄たちの師範学校は、卒業後3年ほど学校の先生をすることを条件に授業料が免除でした。姉は私立で、授業料を家が払えないので「授業料免除の特待生ねらい」のガケップチの猛勉強で家計を助けきりました。

 父母ともにお金はないだけに教育熱心だったのは、亀井君の家と同じかもしれません。父母の教育熱心さが、後々、長兄・次兄が小学校の教員をしながら夜学に通う力を与えました(長兄は30代で日大の英文学科を、次兄は30代で物理学校〔今の東京理科大学〕、40代で早大の数学科を卒業しました)。

 私だけが昼間の大学に行かせてもらいましたが、これは長兄夫婦が、私の19、20歳のときに亡くなった父母の気持ちになりかわって支援してくれたからだと、心から感謝しています。

 私の大好きな本の一つに、『娘と息子がつづる おやじのせなか』(朝日新聞社)という本があります。帯の言葉が印象的です。

<表>
素直に「ありがとう」といえない相手 第一位・・・

<裏>
おやじの話は、しづらいのである。
なぜだろう。
今回の応募作を読みながら、そうか、
おやじのことは肉声ではしゃべりにくいが、
文章なら楽な気持ちで語れるのだ、とわかった。(作家・出久根達郎 講評より)

――『娘と息子がつづる おやじのせなか』(朝日新聞社)の帯

 この本は、朝日新聞紙上で行われた「あなたがつづる 『おやじのせなか』」コンクール応募作1720編から選ばれた94編の作品なのですが、どの作品もすばらしいものばかりです。父は母に比べて語られることが少なく、父のことを口に出して言うのは難しいものです。文章なら「ありがとう」を言える・・・それは多くの人に共通する感情かもしれません。父親は損な存在です。

 この本に収められた94編のうち、もっとも感動した一つを挙げるとすれば、金子真央さんによる「被爆体験を話さぬ父」です。

 父は、疎開した広島で原爆を体験している。死は避けられたものの、多くの友を失った。
  「被爆者手帳を持っていれば医療費がかからないのに、なんで申請しないの?」
  損得勘定だけで私は質問をしたことがあった。
  腹の底からしぼり出すような声が聞こえた。
  「そんなこと、できん」
  生きていることの後ろめたさが、滲み出ていた。申請をしないことが、彼なりの供養だったのか、死者への詫びだったのか。うつむく父を見て、私は自分を恥じた。
(略)

――『おやじのせなか』より「被爆体験を話さぬ父」(金子真央さん作)の一部引用

 ぜひ、本で全文をご覧いただきたいと思います。涙なしには読めません。広島出身で、お姉さんが原爆を体験した亀井君もきっとそうでしょう。

 今回も、私の両親に、そして亀井君のご両親に、ペコペコです。

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