まず、子どもの様子を「嫌そうでグズグズする」と「見た」のは母の感覚であって、子ども自身の本当の気持ちは分かりません。
さらに、「疲れているんだろう」とせっかく気づかっているのに、子どもに対して「疲れているの?」と声をかけたわけではないようです。それどころか、「そんな態度しかできないなら辞めなさい」と叱っていますが、子どもからするとどうでしょうか。「『そんな態度』って何!?」と、何を言われているのか分からないかもしれません。
結局、子どもには、「ママが急に『辞めろ』って言ってきた。なんなんだ、いったい」と思われただけかもしれないですね。
挙句には、夫に「あなたから何とか言ってよ」と依頼しています。
さて、母は何と言って欲しかったのでしょうか。そもそも、本当に「何かを言って」欲しかったのでしょうか。困っているということを、知って欲しかっただけかもしれません。
何が気になっていて、何を解決したいのかが、どうもはっきりしていませんね。
人は自分が聞きたいように聞き、見たいように見る
そんな相談を受けた父ですが、こちらも見事に気持ちのすれ違いを発生させています。
妻からの相談に対して、「一度始めたことを簡単に辞めるのはダメだな」と答えています。
あれ? どこからこの答えが出てきたのでしょうか?
相談されたのは、「空手の稽古に行くことについて、母子の会話がかみあわない」ことだったはずですね。それなのに、父は「簡単に辞めるのはダメだ」と返しているわけですが、これ、父個人の価値観を話しているだけですね。
一歩引いてこの夫婦の会話を見ると、妻が話していることの一部分だけを夫は聞いて、そこに自分の価値観を重ね合わせて、「ダメだな」と結論を出していることが分かります。
「人は自分が聞きたいように聞き、見たいように見る」という言葉がありますが、まさにその状態です。
さあ父はいまどんな心境でしょうか。
子どもの行動が、「一度始めたことは続けるべきだ」という自分の価値観に反しているぞという思いが先に立っています。当然、親として叱らねばならないと思うでしょうね。
そしてその通り、実行に移ります。
威圧的な口調で、「お前、空手を辞めたいのか」
そりゃ、子どもにしたら、「えっ、いきなり何?」という返事になりますね。
父が、自分の聞きたいように母からの相談を聞いて、自分の価値観を乗せて、最初から叱るモードでいきなり話してきたのですから、子どもも災難です。
この後の会話がぐちゃぐちゃになってしまったのは、自明の理というものです。
最後に「分からないなら口出さないで!」と妻子から怒られた父もまた、何がなんやらさっぱり分からないまま、もやもやイライラが募ったことでしょう。