変化してきた動物愛護の精神
日本で「動物愛護」は、未だに微妙なテーマである。先をたどっていけば、必ず日本の捕鯨とイルカ漁にたどり着くからだ。
だが自分は毛皮のコートを着て、血のしたたるステーキを食べながら「イルカを殺す野蛮な日本に行きたくない」とミュージシャンが発言し、大反感をかった70年代、80年代初頭から、欧米社会は大分進化した。
ニューヨーカーの間では、一人ひとりが自分自身の中で何を選択していくのか、という動物愛護精神が高まってきたのである。
たとえば同じ犬を飼うのなら、Puppy Millと呼ばれる劣悪な環境で繁殖させる商業ブリーダーから提供されるペットショップのものではなく、動物保護団体のところから引き取る、というようなことから、日々の食卓で肉の消費量を少しでも減らそうと意識するなど、些細なことだ。
Cruelty Free という表現
こうした現代社会のキーワードはCruelty Free(クルエルティフリー)である。
「残酷ではない」という意味で、たとえば化粧品や洗剤など、動物実験を実行していないメーカーの商品につけられるマークがあり、一般のスーパーなどの店頭から消費者自身が気軽に選択できる。
同じ卵を買うのでも、ブロイラーのものではなく、ニワトリが歩ける環境で育てたものにはCage Freeのマークがついている。
肉類などでも、工場ではなく昔の農場のような環境で育て、必要以上に苦しめないように処理を行う業者にはCertified Humane(人道的認定印)を商品につけることが認められ、消費者が選べるようになっている。
バッグや靴などもCruelty FreeあるいはVeganなどを掲げて、人工革のみを使用しているメーカーもあり、こうしたVegan商品がじわじわと人気をあげてきている。
過激な動物愛護団体のように、何でもかんでもダメ! というのではなく、「惨くない選択があるのなら、できる範囲でそちらを選ぼう」というレベルのマイルドな動物愛護精神が、ニューヨーカーの間では日常生活に浸透しつつあるのだ。