日韓でまったく逆方向の温度差に
脅威認識の逆転は、冷戦終結をはさんだ時間軸だけで起きたのではない。日本と韓国の脅威認識もこの四半世紀の間に逆転した。
私はソウルで韓国語を学んでいた1989年に夜間防空訓練に出くわした。韓国では当時、北朝鮮からの攻撃に備えた避難訓練が毎月あり、その一環として夜間訓練が行われることがあった。
夜間訓練では灯火管制が行われる。すべての明かりが消された暗い町でサイレンが鳴り響く。音を正確に覚えているわけではないが、Jアラートのサイレンと同じような感じだったように思う。高台にあった下宿の窓を開けて外を見た私は、心細くなった。時間にしたら10分か15分だったはずなのだが、時間の流れはとても遅かった。
ソウル五輪を成功させた後ではあったが、冷戦末期の韓国社会にはまだ北朝鮮を脅威だととらえる感覚が強く残っていた。だから、92年になっても世論調査で「北朝鮮が実際に戦争を起こす可能性がある」と考える人が7割に上っていたのだ。一方で日本では70年代のように北朝鮮を「地上の楽園」だとたたえる意識こそ影を潜めていたものの、身近な脅威だとする感覚まではなかった。平和を当然のものとする日本社会で育った20代前半の私には、韓国との感覚の違いは鮮烈だった。
韓国での夜間訓練は90年が最後となった。前述のように、北朝鮮を脅威と見る感覚はその後どんどん薄れていった。
冷戦期に脅威認識が薄かった日本は、まったく逆のコースをたどった。93年には日本に到達しうるノドン・ミサイルの発射実験が日本海で行われ、北朝鮮の脅威が認識され始めた。それでも93〜94年の第1次核危機の時に日本が抱いた危機感は、現在とはまったく異なる。北朝鮮の核・ミサイル能力はまだまだ未熟で、日本が巻き込まれるなどとは想像しなかったからだろう。
そうした空気を決定的に変えたのは、98年にテポドン・ミサイルが日本上空を初めて通過したことだ。北朝鮮を脅威と見る視点はさらに、2002年の日朝首脳会談で北朝鮮が日本人拉致を認め、その直後に新たな核開発疑惑が発覚したことで強まった。北朝鮮はその後、核実験やミサイル発射を繰り返すようになり、日本にとって現実の脅威だと認識されるに至っている。
こうして見ると、過去四半世紀の間に日本と韓国の脅威認識はまるで反対になったことが分かる。北朝鮮との歴史的関係や地理的条件の違いを考えれば、日本と韓国の間に温度差があることは当然だ。それでも北朝鮮情勢を巡る現在の局面では日韓が協力する以外の選択肢がないのだから、日韓の温度差を正面から認識しておく必要がある。その上で、問題解決のために協力する方策について考えなければいけない。そうしなければ、北朝鮮を利するだけなのだから。
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