「日南の人間だから教え合う」
以前、稲作の取材をしていたとき、農家同士でもなかなかうまい米を作るための秘訣を教え合わないと聞いたことがある。フランス映画「愛と宿命の泉」(1986年)でも、理想に燃えて就農した主人公に、意地の悪い村の男たちがウソの助言をして不作へと追い込む場面があった。時間をかけて培ってきた技能をそう簡単に新人には渡さない。そんな不文律があるのかと思っていたが、養鶏にそれはないという。
「いや、養鶏に限らず、日南にはないっていうことじゃないかな」と言うのは、創業当初から松村さんに養鶏のイロハを指導してきた養鶏家の竹井裕樹さん(37)だ。大学を出た後、父の農業を継ごうといろいろな作物を試みた末、12年前に地頭鶏の育成を始めた。
もう一人、やはり12年の経験がある養鶏家、山田尚紀さん(37)も「日南の人間だから教え合うというのはありますね」と応じる。地元愛がそうさせるのだ。
二人には古民家を使った店「日南館」で地頭鶏の刺身や炭火焼きをつつきながら話を聞いたが、やはり印象深いのは、飲みながらも鶏舎で寝ている自分たちの鶏のことを気にかけていることだった。
「よく育てるのは陰をつくったり餌や場所を変えたりと科学実験の繰り返しで本当に難しい」と語りながら、山田さんは「こんな風に緩んでるときに何か起きるんじゃないかという不安が常にありますね」と言う。台風など事前に予想できる事態には策が打てるが、鶏たちが何かをきっかけに突然互いをつつき合うようなパニック、異変は予想がつかないからだ。
「俺の場合は、緩んでいるときは割と大丈夫。それより自分の気が張っているときの方が危ない気がする」と竹井さんが全く逆のことを言うと、「へえ、そうなんだ」と山田さんが応じ、顔を見合わせた。相手は繊細な生きもの。12年やっても、絶対という正解はないようだ。
少し酔ったのか竹井さんがこんな風にこぼした。「自分は幸せになれないんですよ、業を抱えているから」。業とは? 「最初の4年は、脱落していく鶏を殺せなかった。余計に餌を食べるし出荷できないから殺さないとだめなんですけど、できなくて。今は慣れたから、もう何万羽も殺してきたわけで、やはり業でしょう」
ひよこを育て大きくしてオスは120日、メスは150日で出荷する。知らない者には流れ作業のように思えるが、携わるプロの養鶏家たちはまるで鶏たちの心を映し出したように、繊細な人たちだった。