台湾にも「反日教育」が行われた時代があった
先日、タクシーに乗ると、運転手にいきなり「あんた、日本人か。李登輝知ってるか」と聞かれた。「もちろん知っていますよ」と答えたが、運転手は続けてこう言った。「李さんがいなかったらね、日本と台湾の関係、こんなに近くなってないよ」。
台湾は親日国としてテレビやネットでも取り上げられるようになったが、大きなきっかけは東日本大震災だろう。赤十字を通じた額だけで200億円を超える義援金が台湾から寄せられ、日本人は驚いたに違いない。
とはいえ、戦後台湾が日本の統治を離れてからずっと親日国だったかというとそうではない。戦後台湾を占領した国民党は、日本と戦った敵国であったし、「日本統治の残滓を払拭する」として徹底的な反日教育を行った。戦後長らく、日本の映画上映や日本語書籍の輸入販売が禁止されたのはそのためである。
国民党の独裁体制に対する反動か、台湾の人々は日本時代を懐かしみ、評価するようになった。もちろん、日本時代に台湾に尽くした人々の存在なども大きいだろう。そうした下地が、その後の台湾の人々の親日感を築くひとつの要因にもなっている。
しかし、そうした台湾人の親日感をまとめ上げ、日本に対する広報官の役割を果たしたのは李登輝だった。司馬遼太郎の『台湾紀行』で何度もインタビューを受け、台湾に住む「旧日本人」たる人々を紹介して大きなブームを巻き起こした。また、新渡戸稲造の『武士道』を高く評価し、自らも『武士道解題』を出版している。
これは台湾の総統の立場にありながら、日本語で自由自在にものごとを考え、話すことができる李登輝だからこそ出来た役割だろう。