日本最大規模のアウトドアメーカーモンベルが「アウトドア義援隊」を組織したのは1995年1月の阪神淡路大震災に端を発する。震災当日、モンベル大阪本社でも家族や知人の安否を気遣う声が上がっていた。代表の辰野勇氏も仲間の安否確認に奔走していた。そして神戸を訪れた時に多くの被災者を目の当たりにして、テントや寝袋の貸出を決意した。モンベル六甲店を中心にテントと調理用のバーナーの貸出を開始。アウトドア関連の企業や個人に電話とFAXで呼びかけて人・物・金で被災者支援をおこなう「アウトドア義援隊」が結成された。
2011年の東日本大震災では、約510の企業と団体の協力を得て、救援物資約300トン、援助金約4500万円、現地ボランティア約400名(のべ1500名)を集めた。また、震災で被災した子供達の支援と被災地のための復興支援施設への協力も続けている。直近では2018年7月豪雨にあった地域への支援活動をおこなっている。被災地での支援活動を通して必要だと感じられたものは自社開発して製品化するというアウトドアメーカーならではのアプローチもおこなっている。
普段はクッションとして使える「浮くっしょん」、常時携帯できる「エマージェンシーイーポータブルセット」、手回し充電ができる多機能ハンドチャージ充電ラジオ「H.C.5Way マルチラジオ」などを災害対策用に製品化してきた。
今回はモンベル広報部の金森智氏にアウトドア義援隊の活動について話を聞いた。
アウトドア義援隊は瞬時に結成される
モンベルの会社組織にアウトドア義援隊という部署は存在しない。なぜならなるべく早く現地に行くために、有志の社員が集結して義援隊を結成するシステムだからだ。
義援隊をいつどこに派遣するかを決断するのはモンベルの創業者で現会長・辰野勇氏である。いざ結成となれば、その日のうちにチームが結成され車に物資を乗せて現地へ向かうこともある。
例えば熊本地震の時は、南阿蘇村にアウトドア義援隊の拠点が設けられた。南阿蘇村の道の駅内のモンベル南阿蘇店を利用してテント、寝袋、マットの貸出を開始した。この後、石川県にある北陸総合流通センターから物資も輸送された。活動は本震のあった17日からと非常に迅速におこなわれている。当日にテント20数張りと寝袋、マットを100名弱の方々に提供。スタッフは4〜5人で現地のボランティアも加わった。テントは貸し出すだけでなくスタッフが設営をサポート。18日には43張りを新たに設営した。その後も活動を続け、最終的にはテント262張り、寝袋625個、マット347個を貸し出した。
義援隊の活動期間は、災害によって異なり阪神淡路では経営に支障をきたすことなく支援をおこなえる2週間と決めて活動をおこなった。迅速に活動を開始して公的支援が入ったタイミングで引き上げるというスタイルである。
義援隊の体験から防災用グッズを製品化
アウトドア義援隊として自ら被災地で必要な物を実感した辰野氏は、防災用グッズの商品化を続けている。モンベルはもともと自分たちの欲しい物を商品化するという企業のポリシーがあるが、防災用グッズとなればアウトドアグッズより、さらに採算の計算も難しいと思われる。通常、商品化には2年ぐらいの期間が必要だが、防災用グッズに関しては出来るだけ早急に商品化していると金森氏は語る。
災害時に役立つエマージェンシーセット
最初に生まれた防災用グッズは災害時に必要となる製品を詰め合わせたエマージェンシーセットである。これには災害直後に安全を確保して命を守るための一次避難用、そしてライフラインが復旧するまで、避難所や野外で生活するための二次避難用の二種類に分かれている。
「エマージェンシー イニシャルセット」一次避難時・帰宅困難時、1人用
自宅や職場に置くためのセットでヘッドライト、シート、トイレキット、救急セット、ロープ、グローブ、マーカー、手回し充電式ラジオ、エマージェンシー・ハンドブックなどが収められている。ハンドブックには防災の心得や対策などがまとめられている。
「エマージェンシーセット グループ 3&5」野外・避難所生活 1〜3人用、4〜6人用(車載/自宅)
テント、ガス調理器具、浄水器セット、ウォーターキャリー、無水タイプのシャンプー、エコソープ、手回し充電式ラジオ、ヘッドライト、ランタン、キャンドル、マッチなどが含まれるセット。グループ3には3人用の「ムーンライト3型」、グループ5には4〜5人用の「ムーンライト5型」テントが入っている。
専用ケースに収められた防災グッズ。キャンプ用品なので、もともと小型軽量に設計されているためセットがコンパクトにまとまる。