「保育園落ちた日本死ね」と匿名ブログに投稿されたのは、2016年2月。待機児童問題は国会でも議論され、政府や自治体にとって子育て支援は政治課題となっている。2019年10月からは、幼児教育・保育の無償化がスタート。少子高齢化といった社会情勢も影響を及ぼすと考えられる。政治的にも社会的にも注目を集める「保育」はいかなる教育的役割を担い、社会的意義があるのか。私立保育園保育士や園長を経験し、『保育の自由』(岩波新書)を上梓した白梅学園大学・短期大学学長の近藤幹生教授に保育の現状や課題、未来像を聞いた。
保育は心や体を動かして遊ぶ重要な教育
子どもは生まれると、保育園もしくは幼稚園へと通い、小学校に入学。中学、高校、大学へと学歴を積み重ねる。生まれてから、小学校へ就学するまでの時期を「乳幼児期」と呼び、その時期に通う保育園や幼稚園での教育を「保育・幼児教育」とされている。
本著『保育の自由』は保育・幼児教育を総称して「保育」と定義し、それにまつわる諸制度を噛み砕いて解説し、施策の問題点を指摘している。2014年10月に、同じく岩波新書から出された『保育とは何か』で、保育のもつ意味やその営みについて語られてから、読者の反響や社会的情勢の変化から新たに著した続編となっている。
著書の議題となっている「保育」と、小学校以降の教育との違いについて、近藤氏は「学校に入る前の保育は、思いっきり体や心を動かして遊ぶ段階。自分からぶつかったり、友達と楽しい経験したりするのを大事にするべき。子どもの遊びに重点を置く保育と、就学してから学ぶ小学校は区別する必要がある」と指摘する。人間が生まれてからの期間に受ける教育は重要であり、生活や遊ぶ場所や空間をしっかり確保し、質を保つことを求めている。
こうした意味で、近年、行政が進めている待機児童対策に警鐘を鳴らす。「待機児童はもともと認可されている保育園に入る資格があるのに入れないことを示していた。子どもたちが遊べる場所という器を作ればよいということではない」と、“ハコ”を設けるだけに集中するのではなく、一定の質を確保する必要性を訴える。都心部で鉄道の高架下やマンションの上などに保育園が急増しているものの、親の本当の望みとはかけ離れている実情も見せる。2018年に東京都が調査したデータでは、一番入りたいのが公立や私立の認可された保育園だった。
保育者がそろっていたり、遊べる面積があったりと、一定の基準を満たされたものを求めているのだ。「時間もお金もかかるけど、計画的に整備して認可保育園を作っていく方針を持たなければならない。新制度でできた小規模保育園の条件を良くしていくことも同時進行で進めていく必要がある」とする。
ここで挙げる「保育の質」確保に向けて、近藤氏はそれを担う保育者の「社会的地位の向上」の必要性を前著から一貫して求めている。「保育者は、健康管理をしなくてはいけないし、細菌やアレルギーといったさまざまなことを勉強する専門職。にもかかわらず、小学校教諭と比べると格差は大きい」。女性保育士の平均月給は女性小学校教諭の66.6%、男性保育士は男性小学校教諭の66.2にとどまっているという。
これに加え、長時間子どもを預からなければならない厳しい労働環境も存在する。この現状が保育者のなり手不足となり、保育園が確保できないことにつながる。なくならない待機児童の下地にもなってしまっているのだ。