失敗を直視する“金正恩スタイル”
ここで考えるべきなのは金正恩委員長という人物の個性かもしれない。最高指導者の考えが政策に直接反映される体制なのだから、金日成主席、金正日国防委員長の時代と同じ尺度で北朝鮮の出方を予想することは危険である。当初は建国の父としての祖父のカリスマを利用しようという姿勢が目立ったが、金正恩政権は既に8年目に入った。今回の米朝首脳会談では平壌を2月23日に出発し、3月5日に帰国した。北朝鮮メディアは出発翌日から連日のように金正恩委員長の動静を伝えた。11日間にわたる外遊は、確固たる権力基盤を築いたことへの自信を示している。
そして金正恩委員長が先代までと違うのは、失敗を取り繕おうとしない点である。これまでの過程を見ると、過去の失敗を乗り越えようとする姿勢が垣間見られるのだ。例えば、政権発足後間もない2012年4月に日米などが長距離弾道ミサイル発射実験だと見ている「人工衛星」発射を試みたが失敗した。この時は事前に関連施設を外国メディアに公開するほど力を入れていただけに手痛い失敗だったのだが、北朝鮮メディアは約4時間後に「地球観測衛星の軌道進入は成功しなかった。科学者、技術者、専門家らが現在、失敗の原因を究明している」と報じた。以前の北朝鮮であれば、失敗しても「大成功だった」と喧伝するところだが、金正恩委員長は失敗を認め、原因を追究して次回は成功するよう命じた。
2016年6月に「中距離戦略弾道ロケット<火星10>」の発射実験に成功した際にも、北朝鮮メディアは失敗に言及した。火星10は、米国が「ムスダン」と名付けたミサイルのことだ。この時は4月から試験発射を繰り返し、6発目で成功した。朝鮮中央通信は失敗を繰り返したことを認めながら、「失敗に萎縮して臆することのないようにと、さらに大きな愛情と信頼を与えてくださり、尽きることを知らない力と勇気を付けさせてくださり、成功へと導いてくださった」と金正恩委員長をたたえたのである。
国会にあたる最高人民会議でも2014年から部下たちが経済的な「成果」を誇示するだけでは許されず、「誤謬」を認めてそれを克服する術について述べるよう指示されている。
金正恩委員長は、少年時代にバスケットボールに打ち込んだとされるが、試合に負けるといつも反省会を開き、次の試合で勝つためにどうすれば良いか策を練ったという。過去を教訓としてそれを乗り越えるという個性は重要な意味を持つ。
第1回米朝首脳会談の直前にもペンス副大統領を「間抜け」と痛罵する談話を出したことで会談開催が危ぶまれるという場面があった。北朝鮮としては会談前の厳しい駆け引きという感覚だったのだろうが、トランプ大統領は即座に会談中止を通告する金正恩委員長宛の書簡を公表した。すると北朝鮮は10時間も経たないうちに「(トランプ大統領を)内心で高く評価してきた」と下手に出る談話を出して火消しに走った。メンツを重視するという従来の北朝鮮イメージからすれば異例の対応である。その後、文在寅大統領と約1カ月ぶりの南北首脳会談を電撃的に開催し、「米朝首脳会談の成功のため、虚心坦懐に意見を交わした」という。
米朝会談にいたる過程を見てもそうだ。そもそも金正恩委員長は昨年元日の「新年の辞」で米国を強く牽制したし、『労働新聞』もトランプ政権への名指し批判を続けていた。ところが、3月にトランプ大統領が米朝首脳会談開催に同意すると、北朝鮮は急遽、対話路線にかじを切った。恒久的な路線だと言い続けてきた経済建設と核開発の「並進路線」も、4月に突然取り下げた。切り替えの早さには特筆すべきものがある。
金正恩委員長にとって2回目の首脳会談の結果は極めて不本意なものであったことは間違いない。米国の要求は生物化学兵器にまで及び、ハードルはいっそう高くなった。しかし、メンツよりも実利を取ろうとする現実主義的な巻き返し策を考えてくる可能性があるということだ。そう考えるならば、今回の会談の決裂を中長期的に見た時に、大きな妥結を生み出すための一つのステップに過ぎなかった、と振り返ることになるのかもしれない。トランプ大統領の会見でも交渉継続が強調されているうえ、米側は会談決裂にもかかわらず毎年春に行われてきた大規模な米韓合同軍事演習の「廃止」を3月3日に発表した。「完全な非核化」のゴールポストを変えず、なおかつ金正恩委員長の権威を傷つけないよう一定の配慮をしながら北朝鮮との対話を続ける姿勢をトランプ政権がどこまで維持するかが重要なポイントになる。