なぜ中国の農民は強いのか?
だが、拳での憂さ晴らしは「報復」ではない。やはり目指すは富国強兵だ。それにしても「露は支那官吏より強く支那官吏は支那農民より強」いことは当たり前だとは思うが、なぜ「支那農民は露國より強」いのか。
「支那農民は露國より強」いわけを考えるに、やはり彼らが喰うために新しい生活圏を求めて故郷を後にし、ヒタヒタヒタとどこまでも歩き続ける生命力にあるはずだ。現在でもそうだが、世界の各地に移り住んでチャイナタウンを築く。彼らの集中するチャイナタウン(小集中)が、世界各地に作られる(大分散)――小集中・大分散という“現象”があればこそ、「支那農民は露國より強」いのである。
モンゴルの大地に移り住む「支那農民」は草原の緑を引き剝がして畑地とした。生きるためだ。だが、彼ら自らが生きんがための振る舞いこそ、その地で営まれてきた生活文化における“生態系”を破壊することになる。漢族の居住空間が広がるがままにモンゴルの草原から緑が失われ、緑が失われるに従って草原に生きる人々の営みが失われ、モンゴルの文化――《生き方》《生きる形》《生きる姿》――は崩壊に向かう。モンゴル草原を虫食い状態に北進した彼らが、その北方に広がるロシアの大地に目を向けないわけはない。モンゴルのみならず、チベットでもウイグルでも、そして現在ではスペインでもイタリアでも……いや新潟でも池袋でも北海道でも。
現代中国における華僑・華人問題の第一人者の陳碧笙は『世界華僑華人簡史』(厦門大学出版社 1991年)に中国人の海外への移動、つまり“華僑という現象”の本質を、「歴史的にも現状からみても、中華民族の海外への大移動にある。北から南へ、大陸から海洋へ、経済水準の低いところから高いところへと、南宋から現代まで移動が停止することはなかった。時代を重ねるごとに数を増し、今後はさらに止むことなく移動は続く」と捉える。
中国には「木は動かせば死ぬが、人は動かせば活き活きする」という格言がある。毛沢東が進めた対外閉鎖によって死の一歩手前状態に在った中国人を「活き活き」と蘇らせたのが鄧小平の対外開放であり、現在の世界が抱えた“大難問”の1つが中国人の生活圏の拡大――その一環に一帯一路を位置づけられる――であると考えるなら、陳碧笙の見解を聞き流すわけにはいかない。