2024年11月24日(日)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2019年7月19日

70人の有力企業家が香港株式の7割をおさえる

 一方、香港を自らの政治的意思に従って動かそうとした場合、歴代最高首脳は鄧小平の先例に倣った。中心的企業家の北京への招来を常とするが、香港の隣の深圳に呼び付け北京から派遣された代理人が指示を与えることも時としてある。いわば企業家を通して香港を動かそうというのだ。

 顕著な一例を挙げるなら、今回の「逃亡犯条例」反対運動の先駆けともいえる2014年の「雨傘革命」だろう。

 香港経済の心臓部の中環(セントラル)地区を占拠し、長期に亘って国際金融センターの機能をマヒさせることで、北京の中央政府を動かそうとした。「佔中運動」である。民主化を求めた学生たちは香港経済を“人質”にして、「香港住民の自由な選挙による香港政府トップの行政長官選出」という自らの要求の実現を逼ったわけだ。

 だが百戦錬磨の習近平政権は老獪だった。学生らが実力行動に打って出る1週間ほど前の2014年9月22日、「地産覇権」の象徴的存在である李嘉誠を代表に、70人ほどの有力企業家で構成された香港工商専業訪京団を北京に招き寄せていた。

 中央政府で香港問題を担当する主要幹部を従えて香港工商専業訪京団の前に立った習近平国家主席は、「雨傘革命」に対処するための中央政府の「3大原則」を申し渡す。

  1. 「一国両制」を貫徹し香港基本法を遵守
  2. 香港における民主法治を断固として支持
  3. 香港の長期安定と繁栄は断固として維持

 「香港における学生ら民主派の要求は一切認めない」という中央政府の断固たる決意表明だろう。

 ここで、香港工商専業訪京団構成員の香港経済に対する存在感に注目したい。彼らが経営する全企業の株式時価総額は香港経済の6割から7割を押さえている。彼らは香港を香港たらしめている経済の“生殺与奪の権限”を握っている。この時点で経済と政治が手を結んだわけだから、それに従う以外に民意に残された道はない。

 経済と政治は“金の卵を産む香港”を手放すわけにはいかないという点で合意した。ならば学生らが過激な手段に奔ろうとも、彼らが求めた民主化は至難となる。5年前の「雨傘革命」が浮かび上がらせた当時の香港の現実だった。これを図式化するなら「経済+政治>民意」となるだろう。

 そこで今回の事態となる。

 経済、政治、民意の3者の目指す方向が違っているからこそ問題解決は至難なのだ。かりに経済と政治の利害が一致していたなら、前回の雨傘革命と同じように今回もまた運動は頓挫した可能性は大だ。そうならなかった背景には、あるいは経済と政治の間に齟齬が生じた、つまり一部であれ経済が民意に近づいた可能性も考えられる。

 政治が民意に一致しないことは改めて指摘するまでもないはずだ。政治に従う親中系メディアはイギリス植民地時代の香港旗を掲げる過激派を指し、「劣悪な人権環境だった植民地時代への回帰を望むのか」などと強く批判する。だが、「一国両制」の法的根拠である香港基本法が掲げた「高度な自治」が事実上ないがしろにされている以上、この批判は説得力を持ち得ない。

 経済と民意の関係を考えるなら、一部ならともかくも経済の全体が民意と共同歩調を採り、政治に対峙するなどといった事態、ましてや政治が民意に寄り添う事態などは想定しようがない。

 遂に高齢者までが中国反対の運動に参加するようになったとの報道も聞かれる。だが、ここで考えるべきは香港住民の不満の標的が政治介入を強める習近平政権にあることはもちろんだが、じつはビジネスの論理に従って政治との同一歩調を常に求めてきた経済にもあるということを忘れてはならないだろう。

 民意にとっての敵は政治であると共に経済でもあるはずだ。であればこそ、やがて「地産覇権」への反対の声が大きくなるかも知れない。民意が「地産覇権」を軸にした香港社会の構造に向かった時、民主化運動はより本質化するはずだ。

 政治が強権の矛を収め経済の柱である「地産覇権」構造を改める方向に進むなら、民意としては“満額回答”と言えるだろう。だが、現実はそうはならない。経済と政治と民意の三すくみ状況を打ち破る現実的な力は、目下のところは外圧に求めるしかなさそうだ。だが、外圧の柱であるはずのワシントンもトランプ大統領の“ツイッター政治”に振り回されているようでは心許ない。

 とどのつまり近未来の香港で経済、政治、民意の3者が共存共栄するイメージを描き難い以上、その強度に違いはあれ混乱という「新常態」を覚悟すべきではないか。快刀乱麻の解決方法など、実際にはあり得ないのだから。

  
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