2024年11月22日(金)

名門校、未来への学び

2020年3月4日

苦手意識を払拭させた国語の授業

 「ブラジルでは2倍勉強し、日本の教科も学んできたつもりが、日本語と英語とのギャップはかなりあって、入学当初は苦労しました。ブラジルではずっとクラスで一番だったのに、そうも行かなくなった。そんな風に高1を迎え、夏休みの宿題の日記に毎日、その時読んでいた『チボー家の人々』の感想を書いて提出したんです。いわば読書日記。他のことは書いていない。第何章のどこどこまで読み進んだと、その内容についてあれこれ毎日書いた。

 普通の日記を書きたくなくて、ある種の反抗ですよね。それを提出した後の国語の授業で、後に校長になられた赤星秀子先生が、『稀に見る優れた日記を書いた人がいる』と、私の名前を出さずに朗読してくださったんです。15分ほどでしたかね。内容も今思えば稚拙(ちせつ)なのですが、自分の日本語力に自信を失っていたので、書くことの喜びも覚えた。忘れられない授業ですね。

 『チボー家』は全8巻もある長編小説で、時代背景は第一次世界大戦…あなたお読みになっているの? ならばネタバレにはならないわね。主人公のジャックが(ブルジョワ出身の)階級意識と責任感から反戦運動に身を投じ、いわば犬死にするという結末の、究極の反戦小説でしょ。どういう努力も戦争は無にする。すごい小説を書いたわよね、ロジェ・マルタン・デュ・ガールは!」

教師の姿勢に学んだ知的探究

写真・松沢雅彦

 後に大学教授になる資質はこうして磨かれた。若いなりの身過ぎ世過ぎの結果、猪口さんは博覧強記ともなったのだ。赤星先生は土曜の放課後の1〜2時間を割いて、古文の個人教授もしてくれ、国語に苦手意識を持たずに済んだのは幸いだった。そして、赤星先生は戦争未亡人と追って知り、いっそう反戦への意識が募った。

 「桜蔭の名の由来は…あ、それもご存知? 今のお茶の水女子大(旧東京女子高等師範学校)の校章から来ているのよね。今なら全員が大学教授になる水準の先生方が、自分たちが誠実に深く教えることのできる学校を作った。赤星先生をはじめ、私たちを教えてくださった先生はほとんどがお茶大の出身で、多くは戦前戦中世代。当時の社会環境では大学教授にはならなかったけど、その水準で私たちを教えた。深く持続的な情熱で支えられている学校なんですよ。私の(在校)時分でも理系が強くて、同期もけっこう医学部に進学しましたね。

 でも、先生方からは決して『外交官や医師になって、無念を晴らせ』という押しつけはなかった。出口についてとやかく言われない。(先生方は)そんな出口のない教育を受けた世代ですからね。むしろ、知的な追究は一生続くんだという、覚悟が滲み出るような授業でした」

「桜蔭の授業のように」が一つの目標

 それ以前の、男性と肩を並べるまでに必死だった世代とも違い、第二次世界大戦に突入する少し前に青春を送った女性らは、より男女平等の感覚を勝ち得ていた。戦後になって男女共生の課題が具現化したわけでもない。ところが、戦争がその達成を妨げたのだ。だから、少子化・男女共同参画担当相の経験者の猪口さんは、恩師たちを「第一世代」と呼ぶ。

 「桜蔭は東大からも近いでしょ。私は安田講堂の最終闘争も深窓から眺めていたわけです。それで気が気ではなく、エスペラント語由来の名称の、渾身の新聞を発行したんですよ、ガリ版刷りでね…。それを『ちょうど空いているから、輪転機を回してあげよう』と言ってくださったのも赤星先生でした。

 桜蔭には今もなお、そんな鋭い感覚を持った女子校生がたくさん集まっているんでしょう。雑誌の取材では礼法を取り上げたんですね。礼法は桜蔭そのものなんですよ。人にはそれぞれの型がある。相手と向き合っていて、その型がわからない時、ひとまず礼を尽くすということが大切。それが体幹でわかっていないとね。今になってすごくよく理解できますよ」

 多くの他学部や他大学の学生も聴講に来たという教授としての講義も、トップ当選を果たす議員としての演説も、「桜蔭の先生たちの授業と一緒」と猪口さんは語る。自身の運命が衝き動かされたように、誰かの未来を好転させられたら—との思いで、つねにベストを心がけて取り組むのだ。

 

 日本を代表する名門高校はイノベーションの最高のサンプルだ。伝統をバネにして絶えず再生を繰り返している。1世紀にも及ぶ蓄積された教えと学びのスキル、課外活動から生ずるエンパワーメント、校外にも構築される文化資本、なにより輩出する人材の豊富さ…。本物の名門はステータスに奢らず、それらすべてを肥やしに邁進を続ける。

 学校とは単に生徒の学力を担保する場ではない。どうして名門と称される学校は逸材を輩出し続けるのか? Wedge本誌では、連載「名門校、未来への学び」において、名門高校の現在の姿に密着し、その魅力・実力を立体的に伝えてきた。だから、ここでは登場校のOB・OGに登場願い、当時の思い出や今に繋がるエッセンスを語ってもらおう。

 発売中のWedge11月号では、現在の桜蔭高校の礼法の授業を紹介しています。

  
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。

◆Wedge2019年11月号より


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