スターウォーズの最新作品「スカイウォーカーの夜明け」が、米国でも昨年の年末に公開された。スピンオフを除くと、スターウォーズシリーズとしては9作目である。
白状すれば筆者のアメリカ生活は、このスターウォーズシリーズと共に育まれてきたといっても過言ではない。1977年の春に渡米して、ノースカロライナ州の語学学校で寮生活を送っていた当時、公開されたばかりの第一作目「スターウォーズ」を学生仲間と観に行った。
先に観ていた同じく日本から留学していた友人は「なんか子供向けのSFで、ウルトラマンみたいだった」とけんもほろろの感想だった。それでも英語の授業で疲れて切っていた頭には、何も考えなくてもよい娯楽映画がうってつけと思って観に行ったら、これがとんでもない勘違いだった。
まず渡米したばかりの当時の筆者にとって、SF用語を交えた会話がチンプンカンプンでさっぱり理解できない。同じころに見たシドニー・シェルダン原作のサスペンスロマンス「真夜中の向こう側」などは、まだどうにか会話を拾うこともできた。だが何せ「スターウォーズ」は遠い昔、はるかかなたの銀河系のお話である。固有名詞も馴染みなく、たとえ単語を聞き取れてもさっぱり意味は分からなかった。
それでもビジュアルでストーリーを追っていくだけで、十分に面白かった。中でも最も印象に残ったのが、キャリー・フィッシャー演じるレイア姫だった。
ウーマンリブがハリウッド娯楽映画に上陸
1977年当時、映画に登場するプリンセスといえば絶世の美女で、同時に簡単に悪者につかまって必ず主人公の足手まといになるもの、と相場は決まっていた。
ところがレイアは違った。ルークの手から「貸して」と銃器を取りあげ、自らダバダバダと打つ。反乱軍の指導者で、男性とも互角に戦う軍人なのである。ふーん、新しい形のプリンセスだなとわからないなりに感動した。思えば60年代後半からアメリカで徐々に盛り上がっていったウーマンリブ運動、Women’s Liberation Movementがハリウッドの娯楽映画にまで到達した一つの象徴だったと言って良いと思う。
もう一つ印象に残っていたのは、ジェダイの服装がまるで柔道着のようでライトセーバーによる戦いは、日本のチャンバラっぽかったこと。監督のジョージ・ルーカスが黒澤明監督の大ファンで、オービーワン・ケノービの配役は最初に三船敏郎に声がかかっていたことを知ったのは、後のことである。三船氏は断ったと言われているが、もし彼が出ていたらどんなスターウォーズになっていたのか、ちょっと見てみたかった。