100年も200年も続くと思った光景
私はそんな光景は100年も200年も続くと思っていたが、違った。私が成人する前に、海の汚染でアオデや赤貝など中海の珍味は獲れなくなり、成人後間もなく、松江と美保関を結ぶ「合同汽船」も廃航になった。
2010年、私の父が亡くなる数カ月前、父が急に「田舎を見たい」と言うので、両親を連れて境港市外江町に帰ったことがある。
町を歩き回った後、対岸の島根半島に渡り半島側から故郷を眺めた。私はふと、86歳の父に「汽船からの跳び込み」について尋ねてみた。
「ああ、子どもの頃によくやったよ」
父はかっての桟橋の方を見ながら答えた。
「小学生の頃から?」
「うん、小学生の頃からね」
運動神経抜群のガキ大将だった父は当然のようにそう言った。私は、言葉に詰まった。
対岸から望む「合同汽船」も「カニ漁」もない私の町は、どこか見知らぬ町のように見えた。
ハーンは前掲書の最後で、コレラ禍に揺れていた松江を去る時、彼が見た出雲世界について次のように述べている。
「現実と幻が見分け難い国―すべてが、今にも消えて行く蜃気楼のように思われる国」
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