英国で石炭火力発電が減った理由は経済性
英国で産業革命が起こったのは、木材との比較で発熱量が高い石炭を燃焼させる蒸気機関の利用が始まったからだった。利用が、工場から鉄道、船舶と広がるにつれ19世紀英国での石炭生産も飛躍的に増加し、20世紀前半には100万人以上の炭鉱労働者が年間3億トン近い生産を行うまでになった。
第二次世界大戦後も、70万人の労働者が年間2億トンの生産を行っていたが、安価で取り扱いが容易な石油の利用が広がり、さらに坑内掘りのため生産性が悪い高コストの炭鉱が多かったことから60年代から生産量が落ち込み始める。
このため炭鉱の閉山が続くことになったが、オイルショックにより石油価格が4倍に上昇したことから、相対的な価格競争力が回復し1970年代の生産数量は年産1億数千万トンで推移した。当時の英国の電力供給の約7割は石炭火力から行われていたが、採炭条件の悪化がコスト上昇を招き競争力を失う炭鉱が多くなったことから、80年代半ばになり当時のサッチャー首相は多くの炭鉱の閉鎖を命じることとなった。石炭生産は国営だったのだ。
石炭生産量は減少を始めたが、英国にはエネルギー自給率、安全保障上の問題はなかった。1970年代から原子力発電所、また90年代からは北海で生産が開始された天然ガスを利用する火力発電所が新設されるようになったからだ。石炭火力発電所は1986年を最後に建設されることはなくなった。
石炭生産量はその後も減少を続けるが、石炭火力発電量はあまり落ち込むことはなかった。米国、豪州などから石炭輸入が開始され、国内炭の生産減少分を穴埋めしたからだった(図-5)。
しかし、2010年代に入り石炭火力発電量と石炭消費量は急激に落ち込むことになった(図-6)。温暖化対策のために脱石炭を進めたと言われるが、実態としては石炭火力の老朽化が進み経済性がなくなってきたからだ。
英国では1960年代から70年代に多くの石炭火力発電所が建設されたが、建設地点は内陸部の炭鉱の近くだった。鉄道にせよ、トラックにせよ輸送費が高くなるため、できる限り輸送距離を短くすることが必要だからだ。多くの発電所は海岸から離れた内陸部に建設された。炭鉱の閉鎖により国内炭の供給ができなくなった発電所には輸入した石炭が運ばれたが、陸揚げした地点からは鉄道あるいはトラックでコストをかけ輸送する必要があった。国内炭より輸入炭は安かったが、輸送費を考えるとそれほど競争力があるわけではない。
加えて、発電所は運転開始以降50年前後になり、老朽化が進んでいる。英国では坑内掘り炭鉱は全て閉山された。炭鉱と石炭火力発電所閉鎖の状況は(表)に示されている。
天然ガス火力、再エネからの発電量が増える中で、老朽化が進む石炭火力が廃止されるのは自然の流れであり、温暖化問題があろうがなかろうが、英国では石炭火力からの発電量は大きく減少しただろう。温暖化対策のためだけに使える発電所を閉鎖したわけではない。