World Energy Watch

2020年8月28日

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(AP/AFLO)

 企業活動の前提は、ゴーイングコンサーン、無期限に事業が続くことだが、石油とか石炭などの資源の採掘を行う企業は、資源の枯渇とともに難しい状況に直面することがある。かつて日本の石炭会社は、石油との競争と採炭コストの上昇に見舞われる環境の中で脱石炭を進めようとしたが、結果として企業規模が大幅に縮小することになった。

 今、オイル・メジャーと呼ばれる国際石油資本も温暖化問題への対処から石油消費のピークアウトが言われる中で難しい環境に置かれている。そんな中でかつて時価総額全米一の座にあったエクソン・モービルが米国の株式指標ダウ工業株30種平均を構成する企業リストから8月31日に除外されることが決まった。オイル・メジャーも、規模は違うとは言え、日本の石炭会社のように難しい舵取りを強いられることになるのだろうか。

消えていった日本の石炭会社

 75年前第2次世界大戦が終わった後、日本政府は戦後復興のため石炭と鉄鋼の生産に重点的に資材と資金を投入した。石炭はエネルギーとして、鉄は産業のコメと呼ばれるように建物を作るにも機械を作るのにも必要だったからだ。傾斜生産と呼ばれるこの方式は功を奏し、日本の復興を支えた。石炭会社は景気が良い産業の代表になった。1950年代には石炭会社の大卒初任給が他産業の2倍あったという話まである。

 しかし、国内の石炭の採掘は徐々に地質条件が悪くなりコストが上昇する。やがて取り扱いが容易な石油が市場を席巻し、とって代わられることになった。我が世の春を謳歌していた石炭会社は、生産量がピークを迎えた1960年頃から合理化を進める一方、事業の多角化を図る。たとえば、地下深く石炭を掘る仕事は労働集約型だったので多くの労働者のため社内には日用品の販売所があった。この販売所を元にスーパーマーケット事業を始めたり、米国のファストフードを日本に導入したりしたが、どれもあまり成功しなかった。

 多角化成功の条件としてはシナジーが挙げられることが多い。相乗効果と訳されることが多いが、「共通項」のようなものだろうか。例えば、技術に共通項がある、販売に共通項がある、財務に共通項があるなど企業が持つ経営資源を利用できる事業に多角化を図れば成功の可能性が高いが、全くシナジーがない分野に進出すれば成功の可能性が下がると言われている。石炭会社は、その後海外の炭鉱に資本参加し生き残りを図るが、事業の主導権を握るほどの資金を出すことはできず、かつての輝きを取り戻すことはなかった。

 企業の寿命は30年と言われるように、30年経てば世の中の様子は変わり、必要とされる製品、サービスも変わる。資源を採掘している企業は、埋蔵量が尽きれば海外を含め他の資源を探すか、新しい分野に進出するしか生き残り方法はない。有限である資源に依存する企業の生き残る環境は厳しい。戦後の世界経済の成長を支えたオイル・メジャーも節目を迎えている。

オイル・メジャーの多角化の試み

 1972年6月世界の知識人の集まりとされたローマクラブが「成長の限界」を発表し、大きな注目を浴びた。書籍は日本をはじめ世界の多くの国でベストセラーとなった。地球上の資源、化石燃料には限りがあり、また地球の環境汚染への対処能力にも限度があることなどから成長には限界があるとの主張だった。石油の埋蔵量にも限りがあり、やがてなくなるとの主張から、風力、太陽光、潮力などの枯渇しない再生可能エネルギーが注目を浴びる切っ掛けにもなった。

 成長の限界発表から50年近く経つが、依然石油の可採埋蔵量は50年ある。石油を後50年使っても大丈夫ということだ。ローマクラブの予想は外れたとされているが、その大きな理由は成長の限界発表後の1973年秋に発生したオイルショックだった。1972年の世界の原油生産において70%のシェアを持ち生産を牛耳っていたエクソン、BP、モービル、シェル、ガルフオイル、テキサコ、ソーカル(シェブロン)のセブンシスターズと呼ばれるオイル・メジャー7社から産油国に価格決定権が移り、原油価格はいきなり4倍に上昇した。その結果使用量が抑制されることになった。

 オイルショックまで、世界の原油消費量は毎年7%から8%伸びていた。約10年で消費量が倍になるペースだ。消費量の伸びを考えれば原油の埋蔵量も直ぐに尽きることが想定されただろう。さらに、原油価格が大きく上昇したことで採掘可能な埋蔵量も増えた。その結果、原油の可採年数は大きく伸びることになった。また、シェールオイル、オイルサンドなども技術開発により採掘可能になり埋蔵量がさらに増加した。

 オイルショックにより、先進国は中東の産油国を中心としたオペックが原油の価格、数量をコントロールできることを知ることとなり、安全保障のため石油から原子力、石炭、天然ガスへの供給源の分散を進めることになった。石油の消費抑制に危機感を持ったオイルメジャーは、一斉に石炭産業に進出する。エネルギーであり、販売などのシナジーはあるはずだった。しかし、目論見は外れる。

 一つは、供給過剰現象だった。石油価格の急騰により石炭の需要が増えると多くの事業者が予測し新規炭鉱の建設が相次いだ。エクソンはコロンビアに全く新規の炭鉱、港、鉄道を建設する大プロジェクトを手掛けたが、完成時点では石炭価格は低迷していた。さらに、石油の価格に合わせ石炭価格も変動した。取り扱い面で石油に劣る石炭価格は、常に石油の価格を下回った。

 石炭の需要は確かに増えたが、最大の需要は中国の発電用だった。中国政府が自国内で石炭の採掘を行ったため、中国以外の国からの供給は思ったほど増えなかった。石油からの多角化のため石炭事業に乗り出したが、石油の価格に採算が影響される石炭事業では、業績の変動が激しくなるだけで結局望ましい事業でないことが分かり、オイル・メジャーは相次いで石炭事業から撤退した。

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