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2020年10月3日

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出井康博 (いでい・やすひろ)

ジャーナリスト

1965年、岡山県に生まれる。ジャーナリスト。早稲田大学政治経済学部卒業。英字紙「ニッケイ・ウイークリー」記者、米国黒人問題専門のシンクタンク「政治経済研究ジョイント・センター」(ワシントンDC)客員研究員を経て、フリー。著書には、『移民クライシス 偽装留学生、奴隷労働の最前線』(角川新書)、『ルポ ニッポン絶望工場』(講談社+α新書)、『長寿大国の虚構 外国人介護士の現場を追う』(新潮社)、『黒人に最も愛され、FBIに最も恐れられた日本人』(講談社+α文庫)などがある。

 安倍政権は外国人労働者の受け入れ拡大のため、新たな在留資格「特定技能」を創設した。この資格を通じ、5年間で最大34万5000人の受け入れが見込まれていたが、導入から丸1年が経った今年3月時点で、資格を得た外国人は3987人に過ぎない。

 日本としては、人手不足解消のために外国人労働者を確保したい。一方、労働者を送り出す国、また人材にも、それぞれの事情や希望がある。そのギャップも、特定技能の受け入れが停滞する原因となっている。

 特定技能の送り出し国として最も期待されたのが「ベトナム」だった。ベトナムは、実習生全体の半数以上に相当する約22万人を送り出している。

イメージ写真(Tony Studio/gettyimages)

 そのベトナムでは、特定技能の資格取得のための試験が、いまだ実施されていない。「悪質ブローカーの排除」を求める日本側に、ベトナム政府がへそを曲げているからだ。

 実習生の送り出しに関し、「悪質ブローカー」が最も問題となってきたのもベトナムである。ベトナム政府は送り出し機関に対し、実習希望者から受け取る手数料の上限を「3600ドル」(約38万円)以下と定めている。しかし規定は全く守られておらず、日本円で100万円程度の手数料を取るような機関も少なくない。

 ベトナムの物価は日本の10分の1程度だ。ベトナム国民の過半数を占める農家の収入も、日本円でせいぜい月2万〜3万円に過ぎない。しかも日本での実習希望者は、ベトナムでも学歴がなく、貧しい層の若者が多い。結果、送り出し機関に支払う手数料は借金に頼ることになる。年収の数倍もの借金をしても、日本で働けば簡単に返済できると考えるのだ。

 この借金が、来日後の実習生たちの生活に大きく影響する。彼らが受け取る手取り賃金は月10万円少々で、しかも仕事は重労働である。手っ取り早く稼いで借金を返済しようと、職場から失踪し、不法就労に走る者が後を経たない。

 ベトナム政府が悪質ブローカーをしっかり取り締まれば、実習生が必要以上の借金を背負うこともなくなる。だが、取り締まりが厳しくなる気配はない。

 実習生の送り出しビジネスには、ベトナム政府の認可が必要だ。その認可を得た業者を日本側は「送り出し機関」と呼んでいるが、実際には人材派遣業者に他ならない。そうした送り出し機関の運営には、直接もしくは背後でベトナムの政府関係者が関わるケースがよくある。日本側で実習生を斡旋する「監理団体」の場合、政治家による関与が目立つ。それと似た状況と言える。

 しかもベトナムは、賄賂と汚職の蔓延る国だ。社会主義国であるため、とりわけ政府関係者の権限も強い。そのため関係者への賄賂が横行する。

 実習生から違法な手数料を徴収するような機関でも、政府関係者に金を渡せば、簡単に取り締まりを逃れられる。つまり、ベトナムのような新興国では、政府自体が「悪質ブローカー」の一部と化しているわけだ。

 実習生と同様、特定技能の送り出しも政府関係者には大きな利権となる。だから日本側が「悪質ブローカーの排除」を求めても、簡単には応じるわけにはいかない。

 特定技能の資格試験を実施されず、人材の送り出しが滞れば、困るのは日本側だ。そう足元を見透かし、日本に対して譲歩を迫ろうとしている。

 新型コロナウイルスの感染拡大によって、特定技能や実習生など外国人労働者の受け入れは実質停止中だ。しかし、感染が収束して受け入れが再開すれば、ベトナムなどは送り出し利権の確保に努めるだろう。そこで日本が妥協してしまえば、せっかく安倍政権が掲げた「悪徳ブローカーの排除」という趣旨が反故にされ、実習制度の二の舞となりかねない。

 では、資格取得のための試験がベトナムで始まれば、来日する人材は増えるのか。

 特定技能での受け入れターゲットは、主に実習生や留学生として来日経験のある若者たちだ。筆者はかつての取材先で、現在はベトナムに帰国している数人に対し、再び日本で働く気があるかどうか尋ねてみた。だが、日本で再び出稼ぎを望む者は1人もいなかった。

 元実習生のベトナム人女性(20代)は、こんな本音を語ってくれた。

 「また、日本で働きたい気持ちはあります。でも、(特定技能で認められる5年間の就労期間を終えて)ベトナムに戻った後、何をするんですか?」

実習生のときと同じ

 「特定技能」という名前こそついているが、受け入れ対象となる仕事では、大した「技能」は求められない。また、長く働いたところで、母国に戻って活かせるスキルも身につかない。しかも日本にいる間に、外国人たちは年を重ねる。結婚年齢が日本人よりも総じて早いベトナム人には、日本で婚期を逃すことも不安なのである。

 特定技能の資格を得れば、日本で永住する道も開かれる。だが、筆者が取材してきたベトナム人たちには、日本での永住を望んでいる者はほとんどいなかった。

 ベトナムには賄賂と汚職が蔓延っていて、努力と実力次第で成功できるような環境はない。そんな社会や政府にうんざりしながらも、ベトナム人たちの祖国愛、そして何より家族の絆は強い。たとえ日本ほどには稼げなくても、母国で家族と一緒に暮らすことを望む者が多いのだ。それはベトナム人に限らず、アジア新興国出身者たちに共通して言える。

 元実習生の女性は、こうも話していた。

 「特定技能で日本へ行っても、実習生のときと同じような仕事しかできません。そんなことはもう嫌ですから」

 日本側の狙いが、底辺労働者の確保であることは外国人たちにバレている。だから日本へ再び出稼ぎに行くことに躊躇する。母国に戻って生活基盤を築けた者ほどそうである。

 2000年代まで、外国人労働者の最大の供給源は中国だった。しかし経済成長によって、日本への出稼ぎを希望する中国人は大幅に減った。

 同じことが、ベトナムなどの新興国でも起き始めている。もはやハノイやホーチミンのような大都市では、実習生や留学生として日本へ渡ろうとする者は多くない。経済成長によって現地の賃金が急上昇しているからだ。出稼ぎの希望者は、貧しい地方の若者たちが中心を占める。

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