2024年4月20日(土)

解体 ロシア外交

2012年8月3日

 ソ連時代の1941年1月7日、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国最高議会で、トゥズラ島は同共和国クリミア州への編入が決定された。これは言ってみれば、現在のロシア領に編入されたという形である。

 だが、その後、1954年には、当時のフルシチョフ第一書記のイニシアティブで、ロシアとウクライナの友好を記念するとしてクリミア州はウクライナ・ソビエト社会主義共和国へ編入された。なお、ソ連時代の両国の境界線は、ケルチ海峡の中間に設定されていた。そのため、ウクライナが独立すると、クリミア州のトゥズラ島は独立ウクライナの領土となったのだった。

 だが、実は、このクリミアのウクライナへの委譲に反発を覚えるロシア人は現在ですら、大勢いる状態なのだ。つまり、同島を含むクリミアがロシアに属するべきだと考える人は決して少なくないといえる。その歴史的経緯にそもそもの問題があるともいえる(クリミア問題)。

自国領土に言いがかりをつけられたウクライナ

 それでも、1997年の両国友好協力条約で、トゥズラ島はウクライナ領と確認された。そして、ケルチ海峡の大型船舶航路はトゥズラ島とクリミア半島の間にあるため、ウクライナの管轄下にあることは自明だ。だが、ケルチ海峡には、ロシアの船舶が年間9000隻以上通過しており、それらにウクライナが通行料を課してきたことで、ロシア側の反発が強くなっていった。

 そして、2003年10月に、ロシア南部のクラスノダール地方政府が「沿岸の洪水被害を防ぐため」としてトゥズラ島に向け、同島とタマン半島を結ぶ堤防建設を強行してしまった。だが、洪水防止というのは名目であり、本当は軍事的な目的だったのは明らかである。

 実際は、ロシアの砲台を建設するために、砲台とロシア側の岸との間の連絡を取るための施設を建設したにすぎない。その建設は驚くべき速さで進められ、3交代制で、建設者は150 mのボートを1日で建設したのである。強い政治的意志が感じられる。

 この動きに対し、ウクライナが国境警備隊を急派して、一触即発の事態となった。両国首相が緊急会談を開き、衝突の事態は回避されたものの、これ以後、本問題は両国間の領土問題として、交渉されてきたのである。


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