2022年11月29日(火)

From NY

2020年11月23日

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田村明子 (たむら・あきこ)

ジャーナリスト

盛岡市生まれ。1977年米国に単身留学し、1980年から現在までニューヨーク在住。著書に『ニューヨーカーに学ぶ軽く見られない英語』(朝日新書)、『知的な英語、好かれる英語』(生活人新書)、『女を上げる英会話』(青春出版社)、『聞き上手の英会話』(KADOKAWA/中経出版)など。翻訳書も多数。フィギュアスケートライターとしても知られており、『挑戦者たち-男子フィギュアスケート平昌五輪を超えて』(新潮社)で2018年ミズノスポーツライター賞受賞。

福音派の信仰というもの

 寮に戻ってから、シャロンという一学年上のアメリカ人に恐る恐る聞いてみた。アーカンソー州出身の彼女も、高々と手をあげた一人だった。

 「シャロン、今日の牧師さんのお話で、天国に行く人は手をあげて、って言ったよね」

 「ええ、それがどうかしたの?」

 「どうして自分は天国に行く、って断言できるの? 日本では、そんなこと言ったら傲慢だと受け止められるけれど」

 「それはね、聖書に書いてあるからなのよ」

 1歳年上のシャロンは、当時絶大な人気だったファラ・フォーセットのようにきれいにブローした髪をかきあげながら、まだ英語の拙い私に、ゆっくり説明してくれた。

 「新約聖書では、イエス様が『天国の門に到達する方法は、神の子である自分を通して以外の方法はない』とはっきり言っているの。だからイエス様が自分の罪のために死んでくださった救世主であることを受けいれた人は、罪が許されて天国に行くことが約束されるのよ」

 うーむ。それなりに理屈は通っているものの、ちょっとムシの良い話に思えた。

 だがこれが米国の福音主義の根本にある教義なのである。イエス・キリストを救世主であると受け入れるのと引き換えに、天国行きの切符が約束される。キリストの贖罪によって自分の罪は消えたため、隣人を愛せよとか、敵を許せとか、人を裁くなとか、右の頬を叩かれたら左の頬を出せ、というような教えは二の次であり、天国行きには影響しない、というのが彼らの基本的考え方だ。

 福音派クリスチャンが信仰を生活の中心に置く傍らで、白人至上主義であったり、銃所持の規制に絶対反対の姿勢を貫くのは、日本人の感覚ではちょっと理解しがたい。だが彼らの中では矛盾していない。極端に言うなら、彼らにとって信仰とは人として正しい行動をするためのものではなく、キリストと契約を結んで天国に到達する手段なのである。

 (キリストの贖罪は、全てのクリスチャンにとって基本の教義である。だが極端に排他的な米国の福音派はクリスチャンの中でもカルト的とされていて、特殊な存在だ。もっとも信者の中には自分たちの排他的な部分を批判し、人種差別撤退の市民運動を支持し、チャリティ活動に人生を捧げた人たちもいることは、記しておきたい)

 「ではクリスチャン以外の人はどうなるの? 日本にはクリスチャンでなくても、善行を積んだ立派な人はたくさんいるけれど、彼らはどこに行くの?」

 「悪いけれど、クリスチャン以外は全員地獄に行くのよ。いくら良い人だって、クリスチャンでないのなら間違った生き方をしているの」

 答えは予想はしていたものの、面と向かって言われるとショックであった。(考えてみれば、クリスチャンは過去にこうして「原住民の魂の救済」を口実にして、世界中で侵略、虐殺を繰り返してきたのだった)

 これは、エライところに来てしまった。ようやく当時15才だった筆者にも、自分の置かれた状況が飲み込めてきた。

次回へ続く

  
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