2024年12月14日(土)

赤坂英一の野球丸

2020年12月2日

 セ・リーグもパ・リーグと同じDH(指名打者)制度を導入するべきなのか、それともいままで通り9人野球を維持するべきなのか。巨人がソフトバンクに2年連続で4連敗した日本シリーズが終わって以来、ファン、マスコミ、評論家、現場の選手たちや首脳陣の間でも侃々諤々の議論が続いている。

 いったい、どちらが正しくて、どの程度の実現性があるのだろうか。今回はDH制度に関する動きや発言、さらにこのルールの歴史と裏側を検証してみたい。

(msan10/gettyimages)

 過去にも何度か持ち上がっては立ち消えになったこの問題、今回の言い出しっぺは巨人・原辰徳監督である。昨年、ソフトバンクに4連敗した日本シリーズの翌日(2019年10月24日)、早くもこういう提言を行った。

 「(パ・リーグと違って)セ・リーグにはDH制がないからね。DH制は使うべきだろうね。(DH制がないからパ・リーグに)相当、差をつけられている感じがある。

 (DH導入のメリットは)少なからずあると思う。投手は(打撃を気にしないで)投手に専念できる。それは、パ・リーグ全体(の6チーム)に言えることだから」

 つまり、投手が投球だけに集中すれば、パ・リーグのパワーピッチャーのように、より速く、球威があり、精度の高い投球ができるようになる。オーダーにDHが入ったら1番から9番まで気が抜けなくなるため、必然的にメンタルが鍛えられ、テクニックもコントロールも向上する。

 一方、そうやってパワーを身につけた投手と対戦する打者もまた、よりレベルアップできる。そういう相乗効果がより一層、試合を面白くする、というわけだ。

 「(逆にセ・パ両リーグで)ルールの違いにどういうメリットがあるのか。レギュラーは増えたほうが、ファンだって少年たちだっていい。レギュラーが9人から10人になる。(セ・リーグはDH制度を導入せず)何を持って立ち止まっているのか、あるいは(旧態依然としたルールを)守っているのか」

 ところが、この原発言は当初、球界内部で完全に無視された。発言から2週間余りのちの同年11月11日のセ・リーグ理事会、同月28日のオーナー会議では議題にも上がらず、12月5日の選手会総会でも取り上げられていない。

 ここでいったんはしぼんだDH導入論に、今年の日本シリーズ開幕3日前、11月18日の臨時実行委員会でふたたび火が点く。日本シリーズは1987年以降、DHを採用しているのはパ・リーグの本拠地だけで、セ・リーグでは使えない。それを、「今年に限って全戦DHを使えるようにしてほしい」と、ソフトバンク側がNPB(日本野球機構)と巨人側に要求したのだ。

 今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響により、レギュラーシーズンの開幕が遅れ、過密日程となった。そのため、例年より調整不足の選手が多く、投手が打席に立つことは故障のリスクを高める。だから全試合でDHを使いましょう、というのがソフトバンクの申し立てた理由である。

 これに、原監督は我が意を得たりとばかり賛同した。

 「有利とか不利とかは度外視してね、選手の安全であったり、時間短縮であったり、スリリングな野球をするとか。近代野球の中で、野球界を発展させるという部分において一歩踏み出す必要があるだろうと。

 有利とか不利とか、そんな論理はね、もうすぐ90年を迎える野球界に対して失礼ですよ。何をファンが望んでいるか。面白いシリーズになると思いますよ。スリリングな、息の抜けないね」

 もっとも、原監督の態度は一見豪胆なようでいて、相手の土俵で相撲を取るようなものでもあった。結果、ソフトバンクの得点は4試合で計26点。逆に巨人は僅か4点と、シリーズの歴代ワーストタイ記録を作っている。昨年来、自ら訴えていたDHの採用が、かえって打撃力の差を際立たせてしまった形だ。

 DH制度が初めて導入されたのは1973年、メジャーリーグのアメリカン・リーグである。当初の目的は、原監督の言うように点の入るスリリングな試合を増やし、もっと観客動員数を伸ばそうという主として興行上の理由によるものだった。

 それまで、ア・リーグは極端な投高打低の状態が続いており、あまり点が入らない野球は見ていてつまらないからと、本拠地球場の多くが年間入場者数100万人を下回り、経営難に陥っていた。そこで、もっとたくさん点が入るように、投手を打席に立たせず、9人目の打者をオーダーに入れるDH制度が考案されたのだ。

 これに、やはり不人気にあえいでいた日本のパ・リーグが目をつけた。1975年からDH制度を採り入れ、1982年にはパ・リーグからコミッショナーに対し、日本シリーズに隔年で全戦DHを採用してほしい、と正式に申し入れが行われた。

 それまで、日本シリーズは従来通り、DH制度がないままで行われていた。レギュラーシーズンと違うやり方だけで戦うのは、パ・リーグが不利であり、不公平だというわけである。

 ところが、当時はパ・リーグの要求に対し、いまとは逆にセ・リーグが猛反対した。なぜこれほど頑ななまでにDH制度を拒むのか、このとき、第7代プロ野球コミッショナーを務めていた下田武三氏(元最高裁判事、故人)が独自に球界関係者に聞き取り調査を行ったところ、驚くべき真相がわかってきた。

 以下、下田氏の回顧録から証言を引用する。

 「一説によれば、一九七三年に米大リーグでアメリカン・リーグがDH制を採用した直後、日本でもセ・リーグがまずこれに着目して、その採用を検討していた、というのですね。

 ところが、パ・リーグがセ・リーグに断りなしに突如、一九七五年にDH制を先どり採用してしまったとして、爾来、DH制の問題については、セ・パ両リーグの間に大きな感情的しこりが発生して、それが未だに今日まで残っているのだ、と、そういうのです」(下田武三著『プロ野球回想録』より、原文ママ)

 DH制度導入に先鞭をつけようとしたのはセ・リーグだった、という話は、私も先輩の野球記者から聞いたことがある。ア・リーグがDHを採用した1973年は、日本では国民的英雄の巨人・長嶋茂雄が1974年に引退する1年前だった。そこで、人気者の長嶋に1年でも長く現役を続けさせるため、球界と読売の上層部がいち早くDH制度の導入を画策していた、というのである。

 しかし、当時、巨人監督としてV9(1965~1973年の9年連続リーグ優勝と日本一)を達成した名将・川上哲治氏(故人)は、DHを「邪道」と批判。セ・リーグが最終的にDH制度導入を断念した裏側には、〝ドン〟川上氏の意向も働いていたのかもしれない。

 ところが、1982年になって、パ・リーグがDH制度の日本シリーズ隔年採用を主張すると、すでに監督の座を退いていた川上氏は、一転してこれを容認する発言を行った。

 「私は、元来、DH制は邪道だと考えている。だから、セ・リーグはDH制を採用しない。しかし異なる方式を使っている二つのリーグが現にある限り、一方のリーグが常用する方式のみを毎年の日本シリーズで使うのは、なんといっても公平ではない。公平にしなければいけない」(前出『プロ野球回想録』より、原文ママ)

 当時はまだまだ影響力の大きかった川上氏のこの発言が、下田コミッショナーの背中を押した。いくつかのスポーツ新聞が読者アンケートを行い、日本シリーズのDH導入に7~8割の賛同の回答が得られた中、下田コミッショナーは根気強くセ・リーグ側を説得。ようやく1985年、阪神-西武の日本シリーズから隔年での全戦DH採用が実現したのだ。


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