2024年7月16日(火)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2021年1月13日

 昨年12月で「アラブの春」から丁度10年を迎えた。しかし、今なお残念ながらアラブ社会で民主主義が根付いているとは到底言えない。欧米の論調には、そうではあってもいずれは民主主義が広まるであろうという希望的観測を述べているものが少なくないが、果たしてそうなるであろうか。

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 そもそも、10年前にチュニジアに端を発した一連のアラブ民衆による専制独裁体制に対する抵抗運動は、「民主化」を求めたものであろうかとの疑問がある。確かに民衆の抵抗により倒れたエジプトのムバラク政権、リビアのカダフィ政権、イエメンのサーレハ政権は長期間続いた専制独裁政権であったが、その後の展開は、立ち上がったアラブの民衆が民主化を求めたというよりは、次のようにみる方が正確であるように思われる。すなわち、長年の専制独裁体制下で失業問題を初めとする経済問題が解決せず、腐敗が蔓延するという代わり映えのしない状況に飽きて、何でも良いから、今の体制より自分達が望むモノを与えてくれる体制を望んで立ち上がっただけだったのではないか。

 例えば、エジプトではムバラク政権が倒れた後、民主的な選挙によりイスラム原理主義系のモルシ政権が誕生したが、モルシ政権の未熟な政権運営に対して民衆は失望し、その隙間を縫って軍事クーデターによりシシ政権が誕生して現在に至っている。シシ政権が続いているのは、確かに民主化を望む民衆を弾圧して政権を維持しているという側面も有るが、エジプトの民衆がある程度シシ大統領の政権運営に満足している面も否定できないのではないか。

 12月19日付けエコノミスト誌社説‘Why democracy failed in the Middle East And how it might, one day, succeed’も、「乾ききった土壌に民主主義が根を張ることが出来ない」とアラブ世界で民主化の土壌が無いことを認めつつ、いずれアラブ世界も民主化すると論じている。果たしてそうであろうか。

 「アラブの春」で起きたことが、上述の通り、アラブの民衆が求めたのは民主化では無く、民衆が望むモノを与えてくれる支配者を望んだだけであるとすれば、恐らく大多数のアラブの民衆は、民主化を通じて自分たちが政府の運営に責任を持つことには関心は無いのではないか。民衆が選んだ政権が民衆の望むモノを与えることが出来なければ、それを選んだ民衆にも責任があるということになる。そういう民主主義ではなくて、非民主的に選ばれた支配者に対して要求し、要求が応えられなければ、立ち上がってその支配者の首をすげ替えるというスタイルを選んだというのが「アラブの春」の実態なのかもしれない。

 少なくとも現状ではアラブの民衆が、自分達で国を運営して変えていこうとする意欲があるかどうかについて懐疑的にならざるを得ない。上記のエコノミスト誌社説では、教育に希望を託しているが、アラブ世界の教育は自ら主体的に物事を考えるという習慣を身に付けさせるものでは無いのであまり期待は持てないのでは無いか。唯一、欧米で教育を受けた青年達の一部は、民主主義や多様な意見を認める社会の価値を理解し、支持するであろうが、残念ながら現地のアラブ人の多数はそのような意見に与しないであろう。

  
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