2024年12月4日(水)

使えない上司・使えない部下

2021年4月2日

 今回、取材を試みたのは離婚女性専門不動産「アベリア」代表の緑川陽子さん。東京・港区を中心に都内、神奈川、千葉、埼玉をエリアに、離婚に関する不動産売買やシングル女性向けの住宅リノベーション相談を行う。電話やメール、Zoomなどのオンラインの離婚相談も実施している。

 20歳の時に26歳の男性と結婚し、2人の娘に恵まれる。当初は専業主婦だったが、様々な職場でパートやアルバイトとして働き始める。専業主婦であることを求める夫との間にしだいに距離を感じたという。会話をしない「仮面夫婦」の生活に苦痛を感じ、2人の娘を連れ、2年間の別居をする。2012年に離婚。

 「夫に、男社会に負けたくない」との思いを秘めて、1日睡眠4時間で仕事や家事に取り組む。宅地建物取引士や二級建築士の資格試験に合格し、建築会社の営業として実績を積む。36歳で所長に抜擢される。5人の部下をまとめつつ、業績を上げるが、自ら経営する立場になるために退職。2017年にアベリアを設立した。宅地建物取引士・二級建築士・二級FP技能士・心理カウンセラー。

 緑川さんにとって「使えない上司・使えない部下」とは…。

(metamorworks/gettyimages)

私でもできるんじゃないか、と芽生え始めたのです

 離婚者(予定者含む)を専門にした不動産会社を設立したきっかけのひとつは2011年の時のこと。中学生、高校生の娘2人を連れて離婚をしようと思い、一戸建ての家を買うために不動産会社へ行き、相談したのです。60代ぐらいの男性が収入や離婚後の養育費、慰謝料について尋ねてきました。なぜ、こんなことを言わなきゃいけないのと思ったのです。

 当時は、夫と100%会話をしない「仮面夫婦」の日々。イライラしていたから、きっと心に刺さったのでしょうね。振り返ると、男性はこれを聞きたかったんだろうな、とわかります。間違ったことは聞いていない。養育費や慰謝料も、収入のことを知りたかったんだろうと思います。

 一軒家を購入するためにローンを組もうと銀行に行きましたが、ほとんどの銀行の審査で落ちました。こんな時が、ストレスマックス。あの頃、キャッシング(借金)はない。会社員(管理職)としての収入もそれなりにあったんです。確実に審査に通るはずだったのに、申請額の半分しか貸してくれない。その答えがわからないストレス…。それでも、あきらめませんでした。

 関係を元に戻す? いいえ、それは考えません。誰もが、我慢できることと、できないことがありますね。私は、仕事が忙しくて死にそうになったとしても我慢ができる。仮面夫婦で会話がないのも、多少は我慢できる。

 生きていくうえでの自由を奪われるのが、我慢できなかったのです。女を馬鹿にするような言動もあったのも気になりました。娘に対しても、私に対しても許せないと思ったのです。夫は亭主関白で、「妻は家にいるように」といった考えが強いようでした。それでも働きたく、長女が2歳になった頃、ヤクルトの配達・営業をするヤクルトレディを始めました。大変だけど、仕事をするっていいな!それまで経験のなかった営業力を身に付けることができました。ここからスタートし、仕事や収入を増やしていったのです。

 10代の頃に知り合い、20歳で長女を産みました。その頃から働きたい、と思うようになったのです。「〇〇(娘の名前)ちゃんのママ」とママ友達から言われるのが嫌でした。「ママチャリ」なんて、嫌い。もともと、設計士の自営業者の父を持ち、祖父が大工で、弟は不動産関連の自営業。私もその遺伝子があったのかもしれませんね。いったん働き始めると、ますます働きたいと思いました。

 夫からするとどんどんと変わってしまい、手に負えないと感じたのかもしれません。パートとして月に数万円ぐらいの収入で働くことを求めているようでした。夫の扶養内で働くことが我慢ならなかった。私でもできるんじゃないか、と芽生え始めたのです。そんな私を応援してくれていたら、離婚はしなかったのかもしれない。夫の収入は多く、確かに安定した生活はできていました。そういう生活を望む女性にはとてもよくて、DVをするようなひどい人ではなかったのです。

 その後、様々な職場で働きました。印象に残っているのは、クッキングスタジオの契約社員の営業。学ぶものが多くて、いい職場でした。だけど、女性が多くて何か違うんじゃないかな、と感じました。もっと男性社会でバリバリと働きたかった。

 次女が小学校に入学すると、不動産会社で働きました。面接で落ちたことが1度もないんです。それ以前に、宅建(宅地建物取引主任者)の資格試験に合格していたこともあります。職場では「主婦だから…女だから…」とは言われないように気をつけていました。髪を短く切り、スカートははかないようにしたのです。

 夫から「(自分の)扶養内の収入にしておくように。自分の給与から税金をこれまで以上に引かれる」と言われ、一時期は仕方なく働くのを止めました。最初の2週間は子どもにおやつを作ったり、ジムに通ったり友人とランチをしたりして過ごせる。2週間が限度でした。お金がある程度あって、こういう生活をしていても、おもしろくないんだとよくわかったのです。


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